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激戦地ペリリュー島で平和を愛し妻を愛し日本を愛して自刃した中川大佐の戦争 [戦争]

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8月15日は、日本の終戦記念日です。


この日8月15日は、日本の、連合国に無条件降伏での敗戦を、ポツダム宣言受諾した日であり、
212万人と言う膨大な将兵犠牲に終止日となった日であり、日本国民は、この戦争の無意味さを
忘れることはできない日、そして、日本国民は、二度と戦争をしないと誓った日でもあります。


その第二次世界大戦の日本と米国との口火を切った島が、ペリリュー島です。


その司令官に任命されたのが、歩兵第15連隊隊長の中川州男(くにお)大佐と言う人ですが、
当時、軍神の誇りある死が尊ばれる中で、日本を守る最前線にある我々は、1日でも米軍の
日本上陸を遅らせることが軍人の務めであり、我々は守ることであり攻めることでは無いと、
部下に厳命し、我々は愛のために戦う。と、無駄死にの玉砕を戒め、生きる尊さを教えた。


サンゴ礁でできたペリリュー島は、硬い岩盤の川の無い島で、湧水の確保と硬い岩盤を活かし、
その島全体を地下要塞に変えて、圧倒的戦力の米軍を迎え撃ったのです。


1944年9月15日、この小さな島の攻略は数日で終了すると考え、猛火を浴びせて上陸を開始した
アメリカの歴戦の第一精鋭部隊は、予期せぬ壊滅となったのです。


しかし、物量に勝る米軍は、次第に島を包囲し、日本からの補給を切っての火力による猛攻が続き、
次第に兵力も弾薬も水も尽き、遂に2ヶ月に及ぶ戦いに終止符が打たれた。

中川大佐は、部下の死は自分の責任として自刃し、既に死を覚悟の部下には、なお生きて日本の
ため家族のために戦えと言い残しました。


又、中川大佐は、島民が共に闘うと言う申し出でを拒否し、全ペリリュー島民を事前に離島させ、
一人の死者も出さなかったと言います。(島民はその後の国の独立戦争に参加、現パラオ共和国)


戦後、32人の生き残り兵が判明し、これらの地獄の苦闘を証言をしています。


この作戦は、次の激戦地の硫黄島、沖縄戦にも生かされ、生き残るため戦に活かされましたが、
中川大佐は、人類は、これらの殺戮の歴史を知っていながら、何故,かくも双方に無意味な戦いの
歴史を繰り返すのだろうか。そして、妻には、まだ数万年はかかるだろう。と話していました。


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