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特別養護老人ホーム介護の社会的危機 [介護]

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月に一度は隣町にある特老ホームに入居している90歳の知人の様子を窺いに訪ねています。

入居時からの長い月日を車いすで生活していますが、体調の悪化も無いようで、安堵しましたが、
殆ど室内にいて外に出る事が出来ませんので、月に一度は私が天気を見て訪問し、施設の辺り
を1時間程度散歩させています。

昨今のニュースで、老老介護の辛さや、先日の、在宅医療を選択した自宅介護で、両親と妻の
三人の介護で苦悩する男性と、9年に亘り、前夫、現夫と長男、母の四人を介護し、自分もうつ
病と診断され、家族との無理心中を決意した女性など、一人で苦悩する介護隣人のニースに、
そしてその弱者隔離社会に胸が痛みます。

それらもの事や予算の関係もあり、特老ホームの入居は、非常に困難なもので、入居出来れ
ばそれ自体で幸せと、認識されている社会です。

確かに、入居者はそれなりの生活ができますので、本人も家族も可なり助かる施設です。

しかし、最近の特老ホームでも介護者の人数不足が目立ちます。
私は、時にその光景に直面して、介護に当たる人々の苦労を他所に、「特老ホーム」を現代
社会の「姥捨て山」と暴言を吐くのですが、特老ホームでの、高齢で寄り身も無く、ただ息を
吸っている、寝たきりや、車いすでの楽しみも無い生活は、人間として見ていられないものが
あります。

特老ホームでは、病的な多くの人に対する多様の諸々の介護は、組織的に時間的に連
して処理しなくてはならず、職業人としての行動が精一杯の状況です。

他方、入居者が特老ホームで死ぬときは、殆どが家族や知人の話やその思い出も殆ど
無く一人でこの世を去る事が多く、日常は無心状況で、本人はただ死ぬのを待つだけの
介護環境です。

自宅介護家族の方や低所得老老介護の苦労や苦悩は言語を超えたものと推察できま
すが、ただ救われることは、その間、故人が幸せであった事、そして、その苦しみの倍返し
意思で訪れる、介護後の介護者の自分がその人に対して、会話や介護行動を尽くした、
その絆の充足感です。

戦後の復活と、経済成長を重視し、芯の無い自由主義の満喫を放任した政治と社会は、
核家族社会と少子化高齢化社会を誘導し成長させ、現は、経済の人生世界観が常識と
なり、弱肉強食世界で、人間としての人情社会を薄め忘れてしまったのです。

これからは、弱者強者共存社会の構築無くしては、人間社会は破壊に向います。


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