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「武士の娘」鉞子とフローレンスの生涯に 本質的気品の香り [文化人]

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「武士の娘」のタイトルで、8月11日NHKテレビ番組が放映されました。

「武士の娘」の「杉本鉞子」の物語は、越後(新潟県)長岡藩元家老の娘が、兄の友人で、
アメリカで骨董店を営む、杉本松雄と24歳で結婚し、米国オハイオ州シンシナティーで、
杉本松雄を庇護していた、後に、第28代ウイルソン大統領を出した地元の名士で、日本
滞在の経験もあり、日本の親しい理解者である、ウイルソン家のセーラー・ウイルソン
(フローレンスの母)の家に私宿したのが切掛けで、16歳年上の親友でもあり、後の第二
の母として生きたフローレンスと共に、運命の「武士の娘」を世に出すことになります。


結婚のため渡米し、米国で夫と共に商売を開始した鉞子は、二人の娘と共に12年を
過ごしましたが、当時台頭した日本の軍国主義の陰が日米関係を悪化して、移民に
対する偏見が厳しくなり、苦しい生活が続く中で、遂に商売は破産し、夫を一人残し
て母と娘は日本に帰国し、フローレンスも適時母国を離れて来日します。

その直後に、夫の杉本松雄は、過労からか盲腸炎で不慮の急死をします。

帰国した鉞子は、日本キリスト教婦人矯風会や普連土学園の英語教師などで働き、
フローレンスは家事を受け持ち、生活していましたが、躾に厳しかった母親の遺言も
あり、母親が亡くなったのを契機に、大正五年に再度米国に亘ります。

米国ニューヨークに暮らす、鉞子家族の生活は苦しく、原稿料やコロンビア大学で
日本の歴史教授をするなどして家計を支えましたが、その折れそうになる心と生活を
陰で支え続けたのがフローレンスでした。

フローレンスは、鉞子の才能と人柄を文学で生かすべく各面に声を掛けて、遂に、
時の作家、クリストファー・モーレーの目に留り、日本の紹介誌の「アジア」に
「武士の娘」が連載されるのです。

「武士の娘」は、鉞子自身の、日米の異なる生活や思想文化と日本の武家の女性と
しての誇りの在り様に、悶えながらも強く清く一途に生きた物語を綴ったものでした。
この作品は、当時(明治時代)の日本と米国の狭間を繋ぐ、人としての「品格の香り」
と「不器用で武士の娘の懸命な生き方と感性」が愛され、作品は欧米諸国に広まり、
8万部のベストセラーとなりました。

テレビでしたが、「武士の娘」の考え方の支柱に在るのは、常に二人の心は、日米
両国を故郷として愛し、戦争の民族的憎悪を超えて、常に人と人の友情を信じ、
途絶えることなく、日米両国交流の架け橋になろうとしていたことです。

フローレンスはその死を前にして、鉞子に、「武士の娘」を日本でも出版する約束を
させました。

鉞子は、英語も禁止され、米国に繋がりある者として狙われ、陸軍憲兵に監視される
時代に、その翻訳版を、大岩美代訳で出版し、その約束を果たしました。

この二人の素晴らしく高潔で澄み切った一途な人間性の生涯に、人間の本質的な
気品の香りが感じられます。

現在二人は、夫、青山墓地の杉本松雄の墓に、並んで永眠しています。


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