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12月23日天皇誕生日の祝日は日本国民のDNAを考える日でもあります [日本憲法]

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天皇制は、「日本書紀」が伝える神武天皇が即位して以来、日本建国の日として国民に、
日本国歴史の継承して祝われていましたが、敗戦後は、連合軍の総司令官マッカーサー
が統治GHQによって、この輝かしい日本国精神文化のDNAたる伝統が消滅させられ
ました。

天皇陛下は、終戦に当り「日本の戦争責任は私一人にあります」と、GHQに進言して、
その誇り高き人格にマッカーサーを感動させました。

以後、君主たる天皇制は廃止され、日本国の象徴としてその流れを留めていますが、
天皇陛下は、今もな日本の国民とと世界の安泰を願い、戦後の日本平和を皇室で祈り
続けておられます。

天皇陛下は、本日で83歳の誕生日をお迎えになる今日の記者会見で、その半分ほど
の時間を使って、今尚、天皇のために戦った軍人と民間の犠牲者に思いを寄せ、「平和
であったならば、社会の様々な分野で有意義な人生を送ったであろう人々が命を失った
わけであり、このことを考えると非常に心が痛みます」と述べ、民間船員の犠牲に言及
した際には感極まった様子で言葉を詰まらせ、戦後70年を経ても尚、戦争の罪と平和
への切々な思いを語られました。

天皇陛下はこの中で、戦時中、民間人の犠牲が大きかったことの代表例として民間の
船員を挙げました。

戦時中民間の船員は、軍に徴用され、物資の輸送や監視業務にあたった民間船は、
軍艦に守られることもなく海に沈んだ船員の犠牲は6万人を超え、その3割は20歳未満
の少年でした。

天皇陛下は長くこれに思いを寄せ、神奈川県横須賀市の慰霊碑に7回足を運んでいます。

 天皇陛下は、「外国航路の船員になることも夢見た若い人々」が犠牲になったと事を、
「制空権がなく、輸送船を守るべき軍艦などもない状況下でも輸送業務に携わらなけれ
ばならなかった船員の気持ちを本当に痛ましく思います」と、思いがあふれてか、お話の
声がかすれ、それらは、幼少時に楽しんで見ていた絵はがきにあった船は、その大半が
海に沈んだことを後に知ったとも明かにされました。

この4月には、太平洋戦争の激戦地・パラオ共和国に慰霊に訪れ、海に無数の不発弾が
沈み、処理に大変な時間がかかることを知って、「先の戦争が島々に住む人々に大きな
負担をかけるようになってしまったことを忘れてはならないと思います」と述べられました。

他方、今年の喜ばしい出来事として大村智、梶田隆章両氏のノーベル賞受賞の事と、関東・
東北豪雨などの自然災害については「困難に遭遇している人々を助けようという気持ちが
日本人の中に豊かに育っていることを非常に心強く思います」と述べられ、尚、ご自身につい
ては「年齢というものを感じることも多くなり、行事の時に間違えることもあり、一つひとつの
行事に注意深く臨むことによって少しでもそのようなことのないようにしていくつもりです」と
語られました。

宮内庁が、天皇陛下の公務を同年齢時の昭和天皇と比較したところ、都内や地方への
訪問は約2倍、赴任大使との面会などは約5倍となっており、天皇陛下は公務負担の
軽減についてその負担軽減策を模索しているようです。

82歳のお誕生日を迎えられた、日本国の精神的象徴であります天皇陛下の末長いご健康
と皇室のご繫栄をお祈りせずにはいられません。


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