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仏教檀家制度の改革の試みは真の仏教改革ではない [仏教]

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朝日新聞のニュースに、埼玉県熊谷市に400年の23代の歴史がある曹洞宗の見性寺は、寺院経営を明朗会計とする「改革」で、「お布施」や「戒名」の値下げを「料金一覧表」で公開し、僧侶の戒律の「心得十か条」を参道入り口に掲げたとあります。

仏教は来日以来その宗旨は色々変遷しますが、今日の寺院仏教での檀家制度は、キリシタンキリシタン弾圧を目的に、江戸幕府が民衆の身分を把握するために強制的に設けた民衆の戸籍管理制度(現在の住民票届)として、寺請制度ができ、東西の氏寺院に振分けられた民衆が、その檀家として踏襲されているもので、純粋の仏教信仰とは全く別ものです。

この寺檀(檀家)制度により、当時割り当てられた地区所属の宗派がその家の戸籍管理の菩提寺となり、その形式的な檀家制度が現在も踏襲され、現在、その菩提寺の役割は仏教型の葬式を行う専門機関となり、信仰のない葬式仏教ビジネスか市民権を得ているのです。

が、特に戦後の仏教離れや檀家減少から、寺院経営が危ぶまれることで、この檀家制度を変革する「住職」が現れニュースとなっています。

見性寺は、遺骨を郵送で受け付ける「郵骨サービス」や、収骨合祀、永代供養も、明確化して、「みんなのお寺」を目指して檀家(会員)の獲得に乗り出すとしています。

住職は、「これからは、宗教とお金の関係をクリアにし、説得力を持って語れる寺だけが生き残れる。それが私の答えです」と話しています。

さて、仏教の教え(本化仏教)は、個人の仏への信仰(在家信仰)による「成仏」にあるのであって、前記の流れは、信仰の本質とは、真に次元の異なる内容のもので、寺院仏教制度がビジネスとして形骸化されているす査証です。

人の魂(霊)は、お金、請負などの物的処理で解決するものではなく、「本化仏教の信仰」本人の信仰により「成仏」できるものなのです。

現代の末法時代の仏教は、真の仏教「本化仏教」による聖性仏教改革が必須なのです。


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