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憲法記念日に何を考えどう過ごすか [憲法]

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日本国民の多数が日本国憲法を誇りに思っています。
その根源は、憲法9条の「不戦主義の戦争放棄による平和主義」です。
第二次大戦で未曾有の戦死者や原爆での被爆による犠牲者などを体験した日本は、当然に、
このテーマーは身に染みています。

昨今の国会で、この憲法改定の論議が取りだたされていますが、そもそも日本の憲法は、
誰が何のために作ったのでしょうか。

この真実をほとんどの日本人は知らないまま、日本人はこの憲法を誇りとしているのです。
即ち、日本国民は、多くの犠牲をもとに自らもぎ取った自由主義のフランス革命とは、
その原点が異なります。

そして、憲法に謳われる「報道の自由」を信ずる現代の日本国に、そのことは、戦後の
報道や教育では全て隠蔽されてきました。

それは何故でしょうか。

憲法を考えるとき、憲法作成が、血肉の信念から生じたの理念ではなく、知的理念の文字の
ままで信念を伴わずに国民の中に存在しているといえます。

ここで先ず、現憲法草案作成の真実を知る必要があります。

これは最近、ハーバード大学教授の歴史研究の権威、西教授が、その草案の原本を
発見して、明らかになったものです。

この原本は、戦後日本から持ち去られた膨大なGHQの資料の内、1964年「GHQ憲法草案」
にある実録内容です。

この草案は、当時の最高司令官マッカーサーの代名として、ホットニー准将が、憲法創りの
日米の会議で、吉田茂外相に手渡された米国の原案内容です。

その内容は、日本人の自国を守る「権利放棄」が明確に謳われているのです。
これが、現在の「不戦憲法」となりました。

この時の同席者は、吉田茂外相、側近の白洲次郎、国務大臣で憲法博士の松本蒸治、
通訳の長谷川氏で、日本側の松本草案は、絶対に受け入れられない。というものです。

マッカーサーの言い分は、「専制に苦しむ日本国民を守るべく、自由で開放的憲法が
国民に必要不可欠」とし、日本を民主主義国家に導くための、必要な諸原理を具体化し
承認した文章である。と強要したのです。

その原本5通の内2通が米国フーバー研究所に保管されていました。

席上で日本側の松本博士が話した内容は、「内容は理解したが、自分の案とは全く違う
ので、幣原喜重郎(しではらきじゅうろう)首相に、このGHQ草案を見せた後でなければ
何も話せない。として、更に松本は、日本の草案を受け入れるように強く抗議を行ったが、
准将は、この草案が元帥の希望であり、決意である。と強要されたのです。

そして更に、各戦勝連合国の「天皇を戦犯として軍事裁判にかけよ」の要請を、この憲法
受け入れと引き換えに、その阻止に全力を尽くすが、これは押し付けではない、と脅迫し
たのです。

加えて、この草案の受け入れで、日本の左翼躍動に対し、あなた方の政権はを保証するが、
従来の極右政策を採るなら、その政治生命は終わりとなる。と、敗戦に本の無条件降伏下
でのこの脅しで、日本側憲法の制作選択肢は皆無となったのです。

しかもなおその屈辱は、この会談の10日前に、このGHQ草案が、吉田外相に渡されて
いたのです。

そして、この70分の会談内容は、会談後の吉田外相の提案で、両国の極秘扱いにすることに
なったので、この70余年の間、公開を隠蔽されていたのです。

その後、吉田茂は、日本の総理大臣となりました。

戦後の占領国日本は、マッカーサーの日本国民を骨抜きにする占領政策で、財閥の解体や、
天皇統治の排除、神話歴史や武士道教育の否定、報道の統制、宗教の規制、自由放任主義
への誘導など、あらゆる面に、放楽主義思想を植え付け、その思想を「理想的平和国家」
として、日本民族の精神破壊の米国憲法草案を日本に押し付けて施行せしめたのです。

この施行日が、今日の日本国憲法記念日です。

日本国民は、真の日本国民であるのか、日本国は日本国民のものなのか、自国の防衛は
他国の政策に委ねるのが正しいのか。誇りある日本の歴史は、知らされなくてよいのか、
日本は独立国なのか、などなど、事なかり主義で不透明な課題多い日本の中で生活して
いるのです。

私は平和主義者ですが、日本国民の一人として日本を思い、信念のない理想は、少しの
力でも平和は脆く崩れると、この日の重みを受け止めています。


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