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戦前の欧米は白人主義の人種差別植民地獲得の世界(2) [第二次世界大戦]

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モンゴル国境でのノモンハン事件後、日本軍部はロシアの諜報謀略にはまり、「南進論」に転換し、中国東北部の侵略で、中華民国軍と衝突が起こり、満州事変となります。

結果満州事変で中国に勝利して、満州国を建国しますが、これがもとで、1937年には全面的な日中戦争に突入することになります。

これが、英米の植民地を攻撃することとなり、この日本の軍事強国路線に警戒心を持ち、面白くないのが、白色植民地覇権大国の欧米です。

この間の1914年のオーストリア=ハンガリー帝国の第一皇位継承者が首都サラエボで暗殺された、サラエボ事件からセルビアとの紛争から、関係諸国が絡み、連合国と中央同盟国の2分化された対戦で、ヨーロッパ全域を巻き込む100年戦争の大戦となり、これが第一次世界大戦です。

日本はこの時点では、大日本帝国と称して、連合国側のアジアで参戦し、主にドイツ植民地の奪還に当たっていました。

第一次世界大戦は、1918年11月11日に休戦協定が結ばれ、翌19年1月、講和協定が、ベルサイユで行われ、ドイツは敗戦国として、植民地の放棄、軍備解体、多大な賠償金を課せられます。

戦後、この蓄積された国民の恨みが、ナチス台頭の要因となりました。

巨大債権国の米国は、その後世界の主導的立場となり、1922年、ワシントン会議で、東南アジアと太平洋における植民地主義の大国中心利権による再編成をえ行い、日本は、中国内のドイツ植民地利権、シベリア侵攻地域からの撤退、海軍軍備制限、を呑むこととなりました。

その後、英米は日本軍の南進を阻むため、経済封鎖に踏み切り、日本を孤立化させます。

これが、第一次世界戦争中に日本が行った、東南アジア植民地解放を目指した大東亜戦争から、ナチス台頭で英仏に宣戦布告し、イタリアと共戦同盟し、そして、日本も同調し、独伊日同盟を結成したことで、連合側から反感を買い、これが、米国と対峙理由とされ、米国主導の第二次世界大戦への導火線となったのです。


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