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日本はどこへ向かうのか?チベットの近代化を掲げて毛沢東は [防衛]

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チベットにやってきた中国共産党は、この条約で享受する恩恵は、
寺院への寄付、近代的病院、全ての子供が学校に通えるようになり、
市内の道路や電気の整備も行い、信仰の自由、内政干渉をしない、
と記された17ヶ条協定を提示したことで、地方政府となるチベット
代表のダライラマは、中国軍共産党を支持することを了承し、
1951年10月24日チベットは300年の鎖国を解き、中国の一部に併合されました。

その後、チベットの道路が完成する工賃として、チベット人は賃金を貰い、
生活必需品も満たされて、生活の質も向上し、チベットはこの協定に
満足していたのです。

しかし、道路が完成すると、忽ち状況が変わり、即賃金は不配となり、
道路は中国人の優先となり、中国人がチベット人の数を上回った頃、
中国軍が進駐して、ダライラマを信奉する人たちの強制収容が始まり、
税の徴収、信仰の否定、7000ヶの寺院を6ヶ所に激減したのです。

ヒマラヤのチベットへの道路は、難攻不落の自然の要塞であったものが
道路の開通で、一気に中国覇権侵略を可能としたのでした。

そして一方的に、道路の交通税、関税が課せられたのです。

これに対して、チベットは何故抵抗ができなかったのでしょうか。
チべットは仏教の国で、平和主義の国で、これまで300年の長い間、
平和が基盤の生活となっていて、軍隊は否定されて少ない装備しか持って
いなかったのです。

この間、寺院の僧侶たちを貴族階級として寄付や高級品、近代技術を
送り手なずけて、中国人より賢いと思わせる施策を打ったのです。

1959年にラサ蜂起が起こり、ダライラマの亡命となり、この侵略の流れは、
旧満州、モンゴル、ウルグル、香港、台湾と続いているのです。

日本及び世界は、旧中華民国の国内反抗勢力であった現中国共産党政権を
(中華人民共和国) 正式に承認したのは、1970年からです。

この俯瞰で現在の日本で見てみますと、日本も同じ路線を歩んでいる
ことが分かります。

日本は、中華人民共和国と1978年8月12日平和友好条約を締結して以来、
中国の労働コスト安と日本の技術と資金を武器にして、世界の工場となる
ために各種の支援を行い、中国の経済成長に貢献してきました。

さて今、世界第二位の経済大国となった中国の日本に対する諸政策行動は、
如何でしょうか。

今や世界の支援で国力を養い経済軍事大国となった中国は、日本制覇を
巧妙に、そして着実に進めているのです。

日本の技術と経済力即ち国力は、中国に吸い取られて弱体の一途を
辿っていることに気づきませんか。

戦後米国に日本の魂を抜かれ、そして中国に技術や経営ノウハウの力を
抜かれた経済亡者と平和ボケの日本は、何を力に、日本の誇りと力の回復を
持つことができるのでしょうか。


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