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米国ルーズベルト謀略にはまった日本の第二次世界大戦参戦の真相 [第二次世界大戦]

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昭和十六年、米国情報将校マッカラムは、「対日戦争挑発八項目」作成し、
日本を戦争に追い込み、当時、日本の同盟国ドイツと共に戦わせる「陰謀」を企て、
米、英、中、蘭国(ABCD包囲陣)の 経済封鎖で、日本の石油・ゴムなどの
輸入資源の殆どを供給停止状態にされます。

米大統領ルーズベルトは、更に日本の資源枯渇を決定的にする策略のハル・ノートで、
開国以来日本が多くの犠牲と努力で得た、日本のアジア大陸での正当な権益と領土と、
米国にある日本の資産、財産の全ての放棄を迫り、日本の国益と財産の全ての放棄が、
ルーズベルトの経済復興政策の失敗を埋める、日本の開戦の謀略を進めます。

ために、米国の駆逐艦の「ウォード号」による、日本潜水艦の撃沈事件を起こし、なおも
開戦を誘発し、秘密裏に、米国政府は戦争体制を整えます。

日本は開戦まで、米国との和平交渉の進展を要請しますが、米国は8ヶ月の日本側の要請と
交渉を無視し、日本の国力衰退を待ち開戦へと追い詰めます。

日本はその国力から、已む無く短期決戦を決断し、真珠湾攻撃決行となりますが、これらの
暗号情報も、既に米国で解読されおり、開戦日の日本の攻撃目標は、主力空母の米機動部隊を叩くことでしたが、機動部隊は、既に他島に移動し参戦後の反撃に備えていました。

が、政府謀略のこの臨戦作戦は、ハワイのキンメル司令官には一切知らせず、米国は日本の攻撃を知りながら、意図的にその大惨事を演出して、米参戦の口実を作るため、日本の真珠湾攻撃を成功させたのです。

この攻撃の惨事は奇襲となり、その詳細は、翌日即ニュースとなり、ルーズベルトは、それらの惨状を利用して、「日本の卑怯な奇襲」「だまし討ちをする卑怯な日本国」と、国民感情に訴え、一気に厭戦の国民を参戦に切り替え、米国が連合国軍に参加して、大東亜戦争が、その後、米国大義の第二次世界大戦に切り替わります。

それまでの日本の戦いは、アジアの西洋の植民地侵略を阻止し開放するため、アジア諸国の
独立支援と、侵略された領土の奪回を図る、日本の資源確保の「大義の大東亜戦争」でした。

現在インドを含めアジア諸国の多くが、植民地から独立国になっていることがその証です。

戦後の日本を悪者とした戦犯を裁く一方的東京裁判が、東大法学権威教授の裏切りもあり、
勝者ための裁判が行われ、マッカーサーのGHQ占領策略で、自虐史観の骨抜き日本国が
出来上がりましたが、

裁判後にパール判事は、「米国が日本に送ったのと同一の文書を他国に送れば、非力な
モナコ公国やルクセンブルク公国でさえ必ず米国に対して武力をもって立ちあがっただろう」と語っています。

そして、1946年(昭和21年)5月3日、東京で、元アメリカ大統領ハーバート・フーヴァーと連合国軍最高司令官マッカーサーは「太平洋戦争とはいったい何だったのか」を3日間にも亘って話し合った結論は、「太平洋戦争は、日本が始めた戦争じゃない。あのアメリカの『狂人・ルーズベルト大統領』と「英国のチャーチル首相」のけ仕掛けが、日米戦争を起こさせた。

気が狂っていると言っても精神異常なんかじゃない、本当に戦争をやりたくてしょうがない
その欲望の結果が、日米戦争になったんだ」と、両者の結論は同意でした。



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