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靖国神社と日本の神社を守った宗教学者岸本英夫 [日本文化]

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終戦直後の連合軍最高司令部GHQは、日本軍の強さは、日本の神道を、好戦的な
宗教と考え、軍国主義の諸悪の根源は、これを靖国神社が護持する靖国神社にある。
として、二度と日本に戦わせないために、日本の心と神道道徳の壊滅作戦を徹底します。

靖国神社のもともとは、明治2年に戊辰戦争の戦死者を祀るために創設された
「東京招魂社」が、明治12年に靖国神社と改称されたもので、近代以降成立の
意味では、「新興宗教」のひとつと言えるものです。

即ち靖国神社は、いわゆる普通の「神社神道」の神社ではなく、「天皇を守るため
に戦死した軍人を、神として祀る」ことで、その背景に、「兵士の士気を高め、
国家による戦争を推進すること」の神社で、神道護持の伊勢神宮を頂点とする
神社本庁の組織にも属していません。

神道の神社は、アマテラスオオミカミとか、オオクニヌシノミコトというような、
日本古来の神を祀る社殿です。

そして神道は2000年を超える古来より、太陽神の自然崇拝と畏敬の心と、国民の生活に
礼儀作法などの「国民の和の心」が根付いた神道道徳であり、国民の精神文化です。

GHQの宗教課長の任にあるウィリアム・バンスは、靖国神社破壊検討の視察が明日ある
ことを、日本の宗教学者の一人、岸本英夫に極秘で伝えたことで・・・・。

岸本英夫は、GHQに、日本の宗教について教える役割を担ってた人物で、昭和天皇の
祭事、慰霊祭の前夜祭が行われた夜に、その話を聞きますが、その翌日が視察の日です。

岸本は急遽、祭祀を執り行う軍人達に対して、軍人の魂である軍服を脱いで私腹を着用する
ことを一心に懇願します。が、軍人の誇りと反感で、賛同を得ることができませんでした。

しかし当日、私服姿の軍人と、軍楽隊は古典の雅楽に変わり、軍国主義の色彩が除かれ、
静かで厳かな慰霊祭が執り行われました。

これを拝見したGHQは、神道は、軍国主義を煽る危険はないとの意識を変えることが
できたのです。

このことで、日本全国の神社の取壊がなされず、神道と81,336社の神社が残ったのです。

しかしなおもGHQは、日本の精神文化である神道を消滅させるため、日本中に約1000
万冊の聖書を配布し、3000人を超える宣教師を配置し、皇室にはキリスト教の宣教師を
送り込み、キリスト教の布教を開始しました。

さらに昭和天皇のキリスト教に改宗する噂を流して、日本国民の動揺を生じさせました。
天皇家は、このGHQの強い圧力に苦悩し、抗し耐え抜いて、皇室伝統の神道を守ったのです。

何故なら、神道は、日本天皇皇統の伝記であり、日本人ルーツの歴史でもありますし
天皇家統治の規律規範となる、和の道徳道だからです。

GHQの破壊工作は、古来からの日本の心、神道と天皇神を破棄し、日本国民の心の柱が
消滅したのです。

天皇の靖国神社の慰霊祭は、日本の柱の天皇のために尊い命を賭して闘った、軍人と
国民に対しての慰霊の祭事で、天皇の心からの慰霊として営われています。

靖国神社は国民にとっては、現在の日本国のために尊い命を賭して戦った人々の、
慰霊碑で、これらの先人の残してくれた現在に、私たちは心から畏敬の念と哀悼の意を
捧げる場なのです。



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