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李登輝元総統 巨星墜つ [台湾]

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昨日7月30日台湾時間の午後7時24分、台湾民主化の父、偉大な政治家
李登輝元総統が、持病の肺炎の悪化で、97歳でご逝去されました。

台湾は、日清戦争の日本の勝利で、下関条約によって1895年(明治28年)
4月17日、清朝(当時の中国)から日本に割譲され、その後日本統治となり、
第二次世界大戦で日本の降伏後の1945年から、中華民国政府の台湾統治と
なりますが、李登輝氏は、日本統治時代の1923年に台湾に生まれ、日本語で
教育を受け、高校時代に新渡戸稲造の著書に出会ったのがきっかけで、
京都帝国大学で農業経済学を学ばれました。

1988年、中華民国腐敗政権の蒋経国総統の死去で、国民の初めての直接選挙で、
李登輝氏は台湾総統となり、以後、中国共産党から距離を置く、「二国論」を
提示して、中国の圧力下で台湾の独立を支え続けてきた、偉大な政治家でした。

李登輝氏は台湾総統になった後も、「私は22歳までは日本人だった」と公言し
続け、家庭では日本語で話し、「日本人より日本人らしい」と言われた李登輝氏
でした。

台湾の政界に入ると、当時の台湾で禁止されていた日本文化を開放するなど、
日本に愛着を持って日台関係を支えてきた人物で、日本の将来を最後まで心配
していたと言われます。

日本の安倍首相には、『熱誠憂国。日本人へ伝えたいこと』の著書の中で、
「冷静・謙虚・忍耐」の言葉を大切にし、自らの理想を実現してもらいたい。
と励ましの言葉を送り残しています。

氏の座右の銘は「誠實自然」で、そのご逝去までその姿を貫き通した人物で
あったと言われます。

戦後日本魂を抜かれた、私たち日本人は、中国の国民党と共産党の2代政権の
圧政にも、「冷静・謙虚・忍耐」で耐え抜き、台湾を守り、強いては日本を
守つた李登輝元総統に見習い、誇りある日本人を取り戻し、台湾とは、共に
永久の良き親友でありたいと思います。

ここに、李登輝氏のご逝去を悼み、心から哀悼の意を捧げます。


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