サウジとイランの断交はイスラム教派後継者対立 [イスラム]
中東の政変紛争が過激さを増す中、去る3日、サウジアラビアと対岸のイランの中東二大
大国の断交が生じ、これに派生してバーレンとスーダンもイランとの断交を宣言し、シリア
の内戦とISの混戦状態下のヨーロッパ全域に、更なる緊張が生じました。(イランはシリア
のアサド政権を支持しています。)
この背景には、イスラム教のイラン・シーア派国家とサウジ・スンニ派国家の二大勢力の
対立があり、今回の断交もサウジが、イランのシーア指導者ニムル師がテロ活動に従事
したとする罪で処刑されたことがその発端となりました。
イスラム教徒は世界で16億人と言われ、その9割かスンニ派で、その1割がシーア派と
言われています。
この両派の対立は、預言者ムハンマドの後継のイスラム指導者(カリフ)を巡る対立で、
ムハンマドの血統で、4代目でいとこの「アリー」を正統とする圧倒的多数派のシーア派と、
信徒の話し合いでカリフを選ぶべきとする少数派のスンニ派との対立です。
さて今回の事件は、イランのシーア派最高指導者ハメネイ師が、シーア指導者ニムル師の
処刑中止を要請してきた事が無視されたことで、ハメネイ師は、「サウジアラビアは、神の
報復に直面する」と声明を出し、イランにあるサウジ大使館が群衆に襲撃され放火される
などが生じています。
この様な両派の戦いは、イスラム教を巡る歴史的中東紛争の火種で、昨今ではイラク戦争
での紛争があり、「アラブの春」があり、サウジは隣国イエメンスンニ派政権を支持しており、
その内紛でのイラン人殺害などがあり、そして今回、両国の断交となりましたが、この両国
の歴史は、これら両派の和解と衝突が繰り返されています。
この両国の激化拡大は、欧州全域が望まぬ事で、国連はじめ欧州連合、米国やソ連など
必死の調整を試みていますが、カーネギー中東センターのレナド・マンスール客員研究新は、
「両国ともこの対立は計算のうえでの行動で、この冷戦状態を望んでいる」と指摘していま
すが、今や日本もこの混沌とする中東事変に巻き込まれており、この紛争回避に十分な
国民の熟慮と対応が求められています。
大国の断交が生じ、これに派生してバーレンとスーダンもイランとの断交を宣言し、シリア
の内戦とISの混戦状態下のヨーロッパ全域に、更なる緊張が生じました。(イランはシリア
のアサド政権を支持しています。)
この背景には、イスラム教のイラン・シーア派国家とサウジ・スンニ派国家の二大勢力の
対立があり、今回の断交もサウジが、イランのシーア指導者ニムル師がテロ活動に従事
したとする罪で処刑されたことがその発端となりました。
イスラム教徒は世界で16億人と言われ、その9割かスンニ派で、その1割がシーア派と
言われています。
この両派の対立は、預言者ムハンマドの後継のイスラム指導者(カリフ)を巡る対立で、
ムハンマドの血統で、4代目でいとこの「アリー」を正統とする圧倒的多数派のシーア派と、
信徒の話し合いでカリフを選ぶべきとする少数派のスンニ派との対立です。
さて今回の事件は、イランのシーア派最高指導者ハメネイ師が、シーア指導者ニムル師の
処刑中止を要請してきた事が無視されたことで、ハメネイ師は、「サウジアラビアは、神の
報復に直面する」と声明を出し、イランにあるサウジ大使館が群衆に襲撃され放火される
などが生じています。
この様な両派の戦いは、イスラム教を巡る歴史的中東紛争の火種で、昨今ではイラク戦争
での紛争があり、「アラブの春」があり、サウジは隣国イエメンスンニ派政権を支持しており、
その内紛でのイラン人殺害などがあり、そして今回、両国の断交となりましたが、この両国
の歴史は、これら両派の和解と衝突が繰り返されています。
この両国の激化拡大は、欧州全域が望まぬ事で、国連はじめ欧州連合、米国やソ連など
必死の調整を試みていますが、カーネギー中東センターのレナド・マンスール客員研究新は、
「両国ともこの対立は計算のうえでの行動で、この冷戦状態を望んでいる」と指摘していま
すが、今や日本もこの混沌とする中東事変に巻き込まれており、この紛争回避に十分な
国民の熟慮と対応が求められています。
IS過激派組織に加わった知識階級の混迷の若者の姿 [イスラム]
キルギス第2の都市オシ出身で、イスラム教スンニ派の家庭に育ち、2011年、
イスラムの指導者を目指し、スンニ派の最高学府、エジプト・カイロのアズハル
大学に進学して、イスラム法学などを学んだムハンマドヤヒヤ・ハーキムジャン
ノフ元戦闘員(22)が、「ISに戻ることがあれば、上官の指示に従うと思う。
『殺せ』と命じられれば、殺すかもしれない」とそう語っています。
13年春、カイロ郊外のモスク(イスラム礼拝所)で過激派と出会い、「スンニ
派を虐殺するアサド政権打倒を」に共鳴する、シリアでの「ジハード」に誘われ、
バスチケットを渡されシリア国境に向かい、国境では過激派のシリア人男性の手
引きで国境フェンスの穴を通ってシリア北部アトマに越境し、キルギス人約200
人と共に、小型バスに便乗して、北部バーブのISの前身組織に合流しました。
生活は、月給150ドルと戸建て住宅が提供されて食料は無料。
これなら、ここで家族と生活ができると考えたと言います。
ハーキムジャンノフ元戦闘員は、アラビア語に堪能なことで通訳の仕事を命じられます。
しかし、14年4月、ISと対立するアルカイダ系過激派組織「ヌスラ戦線」の
捕虜7人が、後頭部を銃撃で「公開処刑」される光景を見て、これは「イスラム
教徒がやることか」と、ISへの参加に迷いが生じたといいます。
その1ヶ月後に、結婚相手を斡旋するという郊外の民家に行き、出された紅茶を飲むと
眠りに落ちて気がつくとアサド政権軍の施設でした。
罠に嵌まったのです。ダマスカスに移送され、現在は裁判を待っている。
この元戦闘員の話の一端から、シリア政府軍、反政府過激派、IS、の線引きの難しさと、
成年のその正義行動の矛盾と、組織に振り回されながら、今もなお、ISに参加する中東
とアジアからの、思想的に混迷した若者の姿が浮かび上がります。
イスラムの指導者を目指し、スンニ派の最高学府、エジプト・カイロのアズハル
大学に進学して、イスラム法学などを学んだムハンマドヤヒヤ・ハーキムジャン
ノフ元戦闘員(22)が、「ISに戻ることがあれば、上官の指示に従うと思う。
『殺せ』と命じられれば、殺すかもしれない」とそう語っています。
13年春、カイロ郊外のモスク(イスラム礼拝所)で過激派と出会い、「スンニ
派を虐殺するアサド政権打倒を」に共鳴する、シリアでの「ジハード」に誘われ、
バスチケットを渡されシリア国境に向かい、国境では過激派のシリア人男性の手
引きで国境フェンスの穴を通ってシリア北部アトマに越境し、キルギス人約200
人と共に、小型バスに便乗して、北部バーブのISの前身組織に合流しました。
生活は、月給150ドルと戸建て住宅が提供されて食料は無料。
これなら、ここで家族と生活ができると考えたと言います。
ハーキムジャンノフ元戦闘員は、アラビア語に堪能なことで通訳の仕事を命じられます。
しかし、14年4月、ISと対立するアルカイダ系過激派組織「ヌスラ戦線」の
捕虜7人が、後頭部を銃撃で「公開処刑」される光景を見て、これは「イスラム
教徒がやることか」と、ISへの参加に迷いが生じたといいます。
その1ヶ月後に、結婚相手を斡旋するという郊外の民家に行き、出された紅茶を飲むと
眠りに落ちて気がつくとアサド政権軍の施設でした。
罠に嵌まったのです。ダマスカスに移送され、現在は裁判を待っている。
この元戦闘員の話の一端から、シリア政府軍、反政府過激派、IS、の線引きの難しさと、
成年のその正義行動の矛盾と、組織に振り回されながら、今もなお、ISに参加する中東
とアジアからの、思想的に混迷した若者の姿が浮かび上がります。
ISに殺害された後藤さん妻へのメールと政府対応を視る [イスラム]
フリージャーナリスト後藤健二さんがイスラム過激派組織ISに人質となって殺害されたニュースは、既にテレビを通じて全国民の知るところですが、ISが後藤さんを殺害するまでのISとの救命のやり取りは、全て健二さんの妻が行い、政府はこれを把握していたが、この関与が無かったと言います。
その過程を振り返りますと、健二さんの妻へのメールは、健二さんが行方不明となって約1月後の12月3日にISからのメールに気づき、外務省に連絡をして、政府は、妻の承諾を得、同時進行する形の対応となっていました。
その後の1月24日に湯川さんを殺害したと見られる写真とともに後藤さんの画像が流され、「ヨルダン政府に収監されているサジダ・リシャウィ死刑囚を彼らに引き渡せば、私は解放される」「私を殺させないでほしい」と告げていました。そして、25日早朝には、「死刑囚を連れて来ないと人質は助からない。明日までに回答しなければ人質は死ぬ」と脅しのメールで、死刑囚を釈放するよう改めて求めています。
更に夕方には、「あと数時間で終わりだ。ボールはお前たちの側にある」と対応を迫り、解放条件に、「死刑囚が無事にトルコ国境付近に到着が確認できれば、すぐに人質を国境近くに連れて行く」などの引き渡し場所に言及し、後藤さんを解放条件のメールが届きました。
妻はISとメールでやり取りを、後藤さんと知り合いの豪州在住の危機管理コンサルタントらと相談しながら、ISに「早く夫に会わせてほしい」など、後藤さんの早期解放を求めましたが、ISにその願いが届かず、2月1日に後藤さんを殺害の映像が公開されました。
政府はヨルダン政府などを通じて、中東地域の部族長や宗教指導者らを経由して接触を試みましたが、直接ISと繋がるルートが得られず、人質解放には至りませんでした。
この後藤健二氏人質殺害事件は、ISテロ集団の恐怖を世界に示し、その存在価値を高めたイスラム至上主義の蛮行主義で、その前には政府も無力を証明した事件となりました。
これは宗教とは関係のない、不満破壊分子と経済覇権主義者がもたらした人類の悲劇で、富と貧富の格差極限の欲望による戦いで、これらの前には、人間性も政府理念も無力となったやり場のない事件です。
この残酷で凄惨な行為は、全て人の心から生じているものです。
その過程を振り返りますと、健二さんの妻へのメールは、健二さんが行方不明となって約1月後の12月3日にISからのメールに気づき、外務省に連絡をして、政府は、妻の承諾を得、同時進行する形の対応となっていました。
その後の1月24日に湯川さんを殺害したと見られる写真とともに後藤さんの画像が流され、「ヨルダン政府に収監されているサジダ・リシャウィ死刑囚を彼らに引き渡せば、私は解放される」「私を殺させないでほしい」と告げていました。そして、25日早朝には、「死刑囚を連れて来ないと人質は助からない。明日までに回答しなければ人質は死ぬ」と脅しのメールで、死刑囚を釈放するよう改めて求めています。
更に夕方には、「あと数時間で終わりだ。ボールはお前たちの側にある」と対応を迫り、解放条件に、「死刑囚が無事にトルコ国境付近に到着が確認できれば、すぐに人質を国境近くに連れて行く」などの引き渡し場所に言及し、後藤さんを解放条件のメールが届きました。
妻はISとメールでやり取りを、後藤さんと知り合いの豪州在住の危機管理コンサルタントらと相談しながら、ISに「早く夫に会わせてほしい」など、後藤さんの早期解放を求めましたが、ISにその願いが届かず、2月1日に後藤さんを殺害の映像が公開されました。
政府はヨルダン政府などを通じて、中東地域の部族長や宗教指導者らを経由して接触を試みましたが、直接ISと繋がるルートが得られず、人質解放には至りませんでした。
この後藤健二氏人質殺害事件は、ISテロ集団の恐怖を世界に示し、その存在価値を高めたイスラム至上主義の蛮行主義で、その前には政府も無力を証明した事件となりました。
これは宗教とは関係のない、不満破壊分子と経済覇権主義者がもたらした人類の悲劇で、富と貧富の格差極限の欲望による戦いで、これらの前には、人間性も政府理念も無力となったやり場のない事件です。
この残酷で凄惨な行為は、全て人の心から生じているものです。
「イスラム国」は日本政府の無神経 正しくは「ISIL」 [イスラム]
昨今国内では「イスラム国」のニュースがあふれていますが、これは、イスラム教とその信徒
(ムスリム)に不快な念を与えていることに気づかずにいます。
これは、イスラム過激派が独自で掲げる勝手な「国名」で、例えば、日本列島に別の国名が
生じたようなもので、その国名を日本国民が許すでしょうか。
元来のイスラームとは、宗教語ではなく、政治、経済、法律、社会、人間生活、の全ての活動
を包含する、宗教の枠を超えた政教一元の、イスラーム国家主義(規定)の世界です。
民主主義、社会主義、共産主義を思想ではなく、一政教国の呼称です。
故に海外では、そのアラビア語も英語訳「Islamic State of Iraq and Syria」の省略形の
「ISIS=アイシス」や、「Islamic State of Iraq and Levant」の省略形の「ISIL=アイシル」の
「その地の状態」を用いていて、日本のように「イスラム国」と報ずることはありません。
また、イスラームとは、「神に仕える」の意味です。
この様なことから、日本は、イスラム教とムスリムに対して、日本国民の誤解や偏見による
差別と排斥が誘発されれば、ムスリム(信徒)は日本に安心して渡航したり住んだりすること
ができなくなります。
2020年東京オリンピック・パラリンピックも控え、この平和と祭典に、ムスリムに安心して来て
いただくことができる日本でなくてはなりません。
日本政府と報道関係者は、国民をミスリードする「イスラム国」という名称をやめて、国際的
に統一された「ISIL」の呼称に変更されるべきであると考えます。
世界のムスリムは、「日本の皆さま、どうか「イスラム国」という名称の使用中止をお願い致し
ます」と念願しています。
(ムスリム)に不快な念を与えていることに気づかずにいます。
これは、イスラム過激派が独自で掲げる勝手な「国名」で、例えば、日本列島に別の国名が
生じたようなもので、その国名を日本国民が許すでしょうか。
元来のイスラームとは、宗教語ではなく、政治、経済、法律、社会、人間生活、の全ての活動
を包含する、宗教の枠を超えた政教一元の、イスラーム国家主義(規定)の世界です。
民主主義、社会主義、共産主義を思想ではなく、一政教国の呼称です。
故に海外では、そのアラビア語も英語訳「Islamic State of Iraq and Syria」の省略形の
「ISIS=アイシス」や、「Islamic State of Iraq and Levant」の省略形の「ISIL=アイシル」の
「その地の状態」を用いていて、日本のように「イスラム国」と報ずることはありません。
また、イスラームとは、「神に仕える」の意味です。
この様なことから、日本は、イスラム教とムスリムに対して、日本国民の誤解や偏見による
差別と排斥が誘発されれば、ムスリム(信徒)は日本に安心して渡航したり住んだりすること
ができなくなります。
2020年東京オリンピック・パラリンピックも控え、この平和と祭典に、ムスリムに安心して来て
いただくことができる日本でなくてはなりません。
日本政府と報道関係者は、国民をミスリードする「イスラム国」という名称をやめて、国際的
に統一された「ISIL」の呼称に変更されるべきであると考えます。
世界のムスリムは、「日本の皆さま、どうか「イスラム国」という名称の使用中止をお願い致し
ます」と念願しています。