インチョンアジア男子マラソン松村「銀」川内「銅」の栄誉 [世界マラソン]
インチョンアジア男子マラソンが現地8:30分からスタートし、日本からは川内優輝、
松村康平が参戦しました。
川内選手は、2011年の東京マラソンで3位(日本選手では1位)で優勝し、一躍有名
になった、久喜市の公務員の市民ランナーで、その後も各大会で確約し、本大会で
金メダルの期待を背に参加しました。
又、村松康平選手は、2月開催の2014東京マラソンで、ロンドンメダリストのキルイ
選手を抜いて、日本人トップの8位でゴール、自己ベスト2時間8分9秒の記録を出し、
本大会の出場権を獲得し参加です。
レースは、海外からの招待選手を含め、先頭集団10人による展開となり30Km付近で
アフリカ勢のスパートがあり、日本勢はそれにぴたりとつきます。
この時点で、先頭集団は、マハブーブ、セルオド・バトオチル、村松康平、川内優輝の
4人の闘いとなり、途中川内が20mほど離されましたが、競技場近くで追い付き、
そのまま食い下がる執念に感心させられました。
その後トラック前で、セルオド・バトオチルは遅れ、トラック勝負は、3人に絞られ、
100mの直線付近からマハブーブ(バーレーン)が飛び出し、それを松村が追い、
少し遅れて川内が走る展開となり、そのまま、マハブーブが逃げ切っての優勝でした。
タイムは、マハブーブが「金」、2時間12分38秒、松村は「銀」2時間12分39秒、
川内優輝は「銅」、2時間12分42秒、の僅差の勝負で、3者共に、最後の最後までの
勝負をかけた素晴らしいマラソンでした。
決着後の、松村、川内の両者は、今回をバネとして、次回の挑戦を見詰めていました。
松村康平が参戦しました。
川内選手は、2011年の東京マラソンで3位(日本選手では1位)で優勝し、一躍有名
になった、久喜市の公務員の市民ランナーで、その後も各大会で確約し、本大会で
金メダルの期待を背に参加しました。
又、村松康平選手は、2月開催の2014東京マラソンで、ロンドンメダリストのキルイ
選手を抜いて、日本人トップの8位でゴール、自己ベスト2時間8分9秒の記録を出し、
本大会の出場権を獲得し参加です。
レースは、海外からの招待選手を含め、先頭集団10人による展開となり30Km付近で
アフリカ勢のスパートがあり、日本勢はそれにぴたりとつきます。
この時点で、先頭集団は、マハブーブ、セルオド・バトオチル、村松康平、川内優輝の
4人の闘いとなり、途中川内が20mほど離されましたが、競技場近くで追い付き、
そのまま食い下がる執念に感心させられました。
その後トラック前で、セルオド・バトオチルは遅れ、トラック勝負は、3人に絞られ、
100mの直線付近からマハブーブ(バーレーン)が飛び出し、それを松村が追い、
少し遅れて川内が走る展開となり、そのまま、マハブーブが逃げ切っての優勝でした。
タイムは、マハブーブが「金」、2時間12分38秒、松村は「銀」2時間12分39秒、
川内優輝は「銅」、2時間12分42秒、の僅差の勝負で、3者共に、最後の最後までの
勝負をかけた素晴らしいマラソンでした。
決着後の、松村、川内の両者は、今回をバネとして、次回の挑戦を見詰めていました。