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戦死した千三の母高橋セキのことば [終戦記念日]

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「兵隊にやりたくねえど思っても、天皇陛下の命令だればしかだねエス。
生まれた時がら、オレの子どもでながったのス」
戦死した千三の母が、村長に語ったと伝えられています。

高橋セキは北上市で、若くして夫と死別後、一人息子の千三を懸命に育て
上げたが、昭和42年4月に陸軍入隊後44年4月に南方のニューギニア戦線で、
その11月に戦死し、当時23歳であったと言います。

軍隊招集の「赤紙」が来た日に、「取り消せ。赤紙、取り消せ」戦争はおらが
起こしたんでねえぞ。起こした奴が鉄砲担げばいいんだ。と、村長に怒鳴り
こんでいました。

母、高橋セキは、日雇いをしながら10年かけてためたお金で、75歳で亡く
なる1年半前に、北上市の県道に「路傍の墓」を立てたと言います。

「オレ死んだらば、戦死した千三のごど、だれも忘れでしまうベェ。戦争の
ごども忘れでしまうべなス。オレ、忘れでほしぐねえのス」がその理由でした。

道端に立てられた墓には、ただ「南無阿弥陀仏」とだけ彫られていますが、
翌年から始めれられた、母子を悼む「千三忌」の読書会の仲間が、ここの家の
墓を超えて、「平和を願う人々の慰霊碑」として、今年で31回の墓参を済ま
せたと言います。

「平和を願う心」と「平和を守る心」を考えさせられる、母の戦場と悲願の言葉でした。


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