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初詣の意義はなんでしょうか [初詣]

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今年も多くの人々が早朝から勇んで夫々の初詣を行っていました。

初詣の神事は、太古から営まれた暦による天皇神を崇める古事で、王族(天皇)国の統治の
安泰と、その国の下級の民の幸せを祈る、その歳の初めに営まれる神事でしたが、その皇族
行事の慣わしが、今に残る庶民の精神文化として、神仏礼拝の慣わしとなり、新年の干支の
吉方にある神社仏閣に参詣して、その年の幸せを祈願する郷土文化となっていると思われます。

太古古来の神事は、人の生死を握る自然界の力や脅威を畏れ、これらの難を逃れるために、
それらを、人の守り神として崇めるこころから生じた行事と考えられます。

宗教的には、古く百済(韓国)より儒教が伝わった少し後の大和時代に仏教が伝わり、皇族の
教養として受け入れられ、聖徳太子時代、国の統治に用いられ、庶民には、国の保護を受けた
文字の読み書きができる僧が特権階級となり、仏教寺をあてがわれて、その後、寺院に寄付
する大旦那衆を通してそれらの慣らしが伝わり、江戸時代家康の宗教統制での仏教の寺院
統制を通じて、寺院宗派割当の庶民管理を行い、この流れが踏襲され、現在の形式仏教として
庶民の精神文化となっています。

更にまた、明治時代の神仏分離改革で神教の復活を経て、敗戦によるGHQの宗教の自由
化となり、日本の信仰と信心のルーツは、粉々に砕かれてきたのです。

この様な歴史の背景から、日本の大半の人々から宗教心が軽薄となり、形式的で信心のない、
初詣やお墓参りなどの仏事行事や法事、ビジネス葬式仏教が継承されています。

神社仏閣で、お賽銭を上げて宝くじの幸運を願うがごとく、自分や家族のご利益を願う行為は、
単に一時的な人の善意の行いですが、真の仏教の信心と信仰は「冥益」を得るためであり、
それらとは別次元の信仰行為なのです。

初詣を意義あるものにするには、ご自分の精神を、信仰と信心に真摯に向き合う縁時としたい
ものです。


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