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28年元旦雲一点なしの御参詣の喜びをお届けします [初詣]

東京青天下での初参詣(初詣)は、一段と読経に力が入ります。

東京首都圏道場で数百人が一堂に会し、法華経信徒全員での合口唱は、心の隅々まで
響きわたり、修行の尊さと有難さを感じた一時間でした。

日蓮聖人が千葉県清澄山旭日ヶ森での、立宗開宗第一声となる、本化仏教「南無妙法
蓮華経」を今に繋ぐ口唱は、信徒菩薩行の醍醐味と言うところです。

日本国民が理解する日蓮聖人は、教科書での仏教日蓮宗の開祖と言う認識で、他の宗派
の開祖と同格の扱いをされていますが、実は、仏教の法華経に記述されている本化(本仏
釈迦に仕える上行(主席))の菩薩で、本仏釈尊から末法時代(現代)に法華経を広める命を
受けて出現した菩薩で、その仏教を「本化仏教」と言い、伝承仏教とその教えが異なるのです。

この仏典で秘められた「本化仏教」は、日本の日蓮上人のみに託されており、像法時代に
法華経を編纂した天台宗開祖、天台智顗(ちぎ)も、これを承知し、次の末法時代に、この
本化仏教の布教流布を日蓮上人に繋いでいたのです。

初参詣の閉式後に頂く、鏡割りで白鶴の味も心地よく身に染みて、元旦の世界平和と
お題目の喜びを味わいながら、法華経八品所顕の「ご法」「南無妙法蓮華経」口唱による、
今年一年の世界平和と家族のご利益を願いながら帰途につきました。

帰宅後、家族と味わう「おせち」は、お屠蘇と共に和食の素晴らしさを引き立て、尚元旦の
家族団欒の一時を演出してくれます。

この様に、日本が産んだ特異の仏教と食文化は、日本国民のルーツと誇りであり、これを
磨き、繫ぎ続けている国民の1人として生活できることは、本当に幸せであると言えます。

どうぞこの善き国と良き日に、共に幸せを共有し、その感謝を共感しましょう。



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初詣の意義はなんでしょうか [初詣]

今年も多くの人々が早朝から勇んで夫々の初詣を行っていました。

初詣の神事は、太古から営まれた暦による天皇神を崇める古事で、王族(天皇)国の統治の
安泰と、その国の下級の民の幸せを祈る、その歳の初めに営まれる神事でしたが、その皇族
行事の慣わしが、今に残る庶民の精神文化として、神仏礼拝の慣わしとなり、新年の干支の
吉方にある神社仏閣に参詣して、その年の幸せを祈願する郷土文化となっていると思われます。

太古古来の神事は、人の生死を握る自然界の力や脅威を畏れ、これらの難を逃れるために、
それらを、人の守り神として崇めるこころから生じた行事と考えられます。

宗教的には、古く百済(韓国)より儒教が伝わった少し後の大和時代に仏教が伝わり、皇族の
教養として受け入れられ、聖徳太子時代、国の統治に用いられ、庶民には、国の保護を受けた
文字の読み書きができる僧が特権階級となり、仏教寺をあてがわれて、その後、寺院に寄付
する大旦那衆を通してそれらの慣らしが伝わり、江戸時代家康の宗教統制での仏教の寺院
統制を通じて、寺院宗派割当の庶民管理を行い、この流れが踏襲され、現在の形式仏教として
庶民の精神文化となっています。

更にまた、明治時代の神仏分離改革で神教の復活を経て、敗戦によるGHQの宗教の自由
化となり、日本の信仰と信心のルーツは、粉々に砕かれてきたのです。

この様な歴史の背景から、日本の大半の人々から宗教心が軽薄となり、形式的で信心のない、
初詣やお墓参りなどの仏事行事や法事、ビジネス葬式仏教が継承されています。

神社仏閣で、お賽銭を上げて宝くじの幸運を願うがごとく、自分や家族のご利益を願う行為は、
単に一時的な人の善意の行いですが、真の仏教の信心と信仰は「冥益」を得るためであり、
それらとは別次元の信仰行為なのです。

初詣を意義あるものにするには、ご自分の精神を、信仰と信心に真摯に向き合う縁時としたい
ものです。



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2015年初詣は本化仏教初参詣と日本の舵取りを考えた日 [初詣]

新年を迎えて今年も多くの人の初詣が見られましたが、私も千駄木の本部道場で、毎年の
新春祝禱会の式典に参加して、家族の安全と世界平和をお祈願してきました。

特に今年の祝禱会では、息子が自発的に本化仏教に入会し、信仰を始めた事です。
人の人生で、命の成仏に関わる素晴らしい因縁の日となりました。
それは末法時の真の仏教は、本化仏教でありますが、現在の葬式ビジネス仏教界は世間
一般に殆ど語られていないもので、民衆に対する大怠慢にあります。

仏教の法華経に説かれた、本化仏教の信仰のみが、人の成仏が叶うもので、その信仰が、
その人の人生一大事の出来事なのです。

今の時代にこの様な事を言いますと、蔑視される時代ですが、真実を知ることは大切なことです。

さて、元日のお参詣を終えた丁度昼時の帰りに、小雪が散らつき何かほっとした正月らしい
年の始まりを覚えました。

今年八十路に入って、この一年の終活を見通せるものにしようと考えていますが、正月三ヶ
日はゆっくりしたい気持ちもあり、先が少ない事を知りながらの初日から複雑な年のスタートです。

夜のテレビは、NHKの今後の日本を考える、識者の番組でした。
先ず、アベノミクスの成功を期するために何が必要かは、このままのやり方では後数年しか
日本は持たないとする意見が共有され、そのためには、緊縮財政の枠組みを作成する事が
大前提であり、枠なしの財政出動は、日本を破滅させるとし、日銀のジャブジャブ金融緩和も、
その財政の総政策枠内で行うべきで、今の財務省官僚の予算取り合戦に、財政枠組を設け
る事が必要との意見で一致しました。

しかしその後に増税が必要であり、それを国民が絶えて日本の財政健全化があると結論
付けました。

民主主義で一番の危険は、利己の群集心理の多数決が勝利することです。
その事で、日本はこれまでの選挙で、国政よりも、選挙のための政策が行われ、結果、
各分野の国民予算が膨張して、今の超赤字財政が進められてきています。

故に日本は、今後10年の財と政の政策の舵取りが、世界における財政戦略の焦点となる
こと、及び、日本の国際的地位を維持するために、国も国民も痛みを伴う政治の必要は避け
られない状況であり、阿部内閣とその官僚の、日本再建に向けた真摯取組を願うものです。



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羊年の人と未神社にも「当たり年」10倍の縁起物 [初詣]

来年の干支は十二支の八番目にあたる羊年(未年)で、毎年の年始参拝で神社仏閣は
賑わうことでしょう。

羊は、単独行動をせずに群れをなして行動する動物で、その行動からか、人の世界では、
家族的で平和を好む、縁起物とされています。

又、占いでの未年の人は、内面は芯が強く確りした頑張りやで、優しさが好きで、外面は
交際上手で交渉上手と言われます。

さてこの羊年の人は、新春のお参りはその縁起を担いで、何処の神社仏閣をお参りする
のでしょうか。

未にまつわる神社やお寺を調べてみましたら、全国でもその名がつく神社は極めて少ない
数で、名古屋の未神社、京都の未神社、群馬県の未神社でした。

しかし羊の名の神社でも、その祭神が太陽神の天照大神や古事記の火の神の火之迦具
土神(ひのかぐちのかみ)であったりします。

その中の一つ、名古屋の未神社は平安時代からの由緒ある神社で、名鉄市営地下鉄の
上飯田駅から5分ほどの徒歩の住宅地の一角にあり普段は閑散としていますか、この
新年が12年に1度の好機で、破魔矢や未の絵馬などの縁起物を10倍に増やし、警備員も
75人を配備して、新年の参拝者の行列に備えています。

この日だけは、干支の縁起を担ぐ人が集中すると言われ、12年前の未年には、その参拝者
は300mを越していたと言われます。

善き年に成りますように。