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三原じゅん子参議院議員の「八紘一宇(はっこういちう)」発言が国会で!! [政治]

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参院16日の予算委員会で、三原じゅん子参議院議員の発言が問題視されました。
それは、戦時の日本軍政内閣第2次近衛文麿首相が、「基本国策要綱」で、「八紘を一宇とする」
精神にもとづき「先(ま)皇国を核心とした、日満支の強固なる結合を根幹とする大東亜の新秩序を
建設する」とした要綱でしたが、軍部が国民の戦争遂行促進のために、戦争美化のスローガンとして
「八紘一宇」を利用したことで、世界から「日本が盟主となってアジアを支配する」、「悪侵略的世界
統一」と誤解されるスローガンとなり、国会での三原氏のこの引用発言が問題となったものです。

三原氏は、議題の「国際租税回避」の質疑応答で、八紘一宇とは「世界が一家族のようにむつみ合うこと」だとし、グローバル経済の中で日本がどう振る舞うべきかは「八紘一宇という根本原理の中に示されている」と語り、後の記者の質問に、「侵略を正当化したいなどと思っていない」と文書で回答し、「『人類は皆兄弟としてお互いに手をたずさえていこう』という和の精神」を伝えたかった。としています。

そもそもこの「八紘一宇」は、大正の仏教家で、仏教革命を目指した、田中智学氏の「造語」で、神武天皇の国を治めるための、「八紘(天の下)を覆いて、宇(家)に為(せ)んこと、またよからずや」と。「地の果てまで一つの家とすることは良いことだ」と治世の心を語ったもので、これは「日本書紀」に記されています。

言葉の採り方、その使い方が、大きな誤解を生む良い事例であると感じました。

なお、田中智学師は、1880年(明治13年)在家仏教教団を興し、1914(大正3)に、静岡県美保に最勝閣正境宝殿を建立して「国柱会」の本拠地とします。その後1928年、昭和3年には、東京江戸川一之江に妙宗大霊廟」を建立し、末法の人類救済の大導師、日蓮聖人を拝して、在家の立場から日蓮主義の仏教改革に努めました。

田中智学師の心は、日蓮聖人の著書「開目抄」の「われ日本(にほん)の柱とならん」に由来しています。

その門下会員には、石原莞爾(いしはらかんじ)、宮沢賢治らがいます。



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