広島の原爆記念碑の言葉 小野田 寛郎、元陸軍少尉は・・・・ [平和記念式典]
小野田 寛郎、元陸軍少尉は、29年間、フィリピン・ルバング島のジャングルで、終戦を知りながら帰ることが出来ず生き続けた人ですが、日本に帰国後、広島の原爆記念碑の「安らかに眠ってください。過ちは繰り返しませんから」を見た時、「これは誰が作ったのか」と叫んだそうです。この言葉は、「米国が言った言葉」と解釈したと言います。
それは、日本兵として、また日本人としての命を賭して戦った純粋な心から出た言葉でした。
そしてそれは、日本人が戦後の自虐史観に洗脳され狂ってしまった感覚と、真逆のもので、「日本の過ち」とは何であったのか。
米国が意図して日本国の広島の35万人、長崎の27万人に及ぶ一般国民を原爆で虐殺した罪は、米国側にあるのが当たり前のことで、被爆死傷させられた被害者は日本人であり、加害者の米国が謝らず、逆に日本の過ちとは、如何して言えるのでしょうか。
この戦争も、当時、植民地覇権を競う英国と、米国の満州国の利害で、この両者の謀略で、日本が経済封鎖を受け、何度も米国に和平の話し合いを要請したが、当時のルーズベルト大統領は、当時ドイツと戦い苦境にあった英国のチャーチル首相と組み、戦争の武器供給で大国となった米国は、東洋の覇権を狙い、それを果たすため、この日本の和解交渉を延々と伸ばして参戦の機会を狙っていました。
日本はその当時、ソ連の侵略を受け、窮地に合った清国(現中国)を助け、ソ連の侵略阻止に、満州国を建国しましたが、その利権を米国が要求し、日本がこれに乗らなかったことで、米国は日本を侵略者とし、欧米諸国と組み、経済封鎖で日本のライフラインを閉鎖したため、生存の窮地に追込まれた日本はその資源獲得の活路に、欧米支配の植民地で属国化奴隷化した東南アジア諸国と共存共栄の会議を重ね、アジア諸国の開放を掲げて、大東亜戦争を行ったのです。
これに米国は欧州諸国や植民地に戦闘物資を供給して参戦の機会を狙っていましたが、米国と和解が出来ない日本は、その補給路を絶つため真珠湾攻撃を決行して、第二次世界大戦に突入しました。
この奇襲も米国の諜報機関は、既に把握して、空母4隻を真珠湾から既に就航させて、次の戦闘に備えていたのです。
即ち、真珠湾攻撃がルーズベルト大統領が待ちに待った米国の日本叩き参戦の理由付けを作りすかさず翌日に、ルーズベルト大統領の国会演説で、米国民に日本の卑怯さを訴えて、米国民を反日に転換させたのです。
全て仕組まれた戦略に日本は乗り、停戦協定のポツダム宣言内容を認めて終戦としましたが、結果として、世界は、日本は原爆による敗戦と、その大量虐殺が正当化され、天皇陛下が敗戦を認められたボツダム宣言条文も無視されて、GHQによ国際法に反する、敗戦国主権無視の一方的東京裁判で戦犯が裁かれ、米国の大量虐殺の戦争犯罪は未だに問われないままです。
そして日本国民を無能とする最悪の3S政策による、戦後の日本国と国民精神の解体統治が行われてきたのです。
しかし大東亜戦争の日本の誇りは、日本軍は戦時で、アジア諸国民兵を創り育てながら、共に、白人大国を打ち破ったことであり、その証左は、現在の東南アジア諸国の殆どが、独立国となっていることです。
そして当時を知るアジア諸国の人々は、日本に対して尊敬の念を未だに持ち続けています。
しかし日本の敗戦で、残念にも、これらの日本の功績が歴史から消され、日本の自虐史観を象徴する、広島の記念碑の言葉が、国民の平和意識を洗脳し続けているのです。
それは、日本兵として、また日本人としての命を賭して戦った純粋な心から出た言葉でした。
そしてそれは、日本人が戦後の自虐史観に洗脳され狂ってしまった感覚と、真逆のもので、「日本の過ち」とは何であったのか。
米国が意図して日本国の広島の35万人、長崎の27万人に及ぶ一般国民を原爆で虐殺した罪は、米国側にあるのが当たり前のことで、被爆死傷させられた被害者は日本人であり、加害者の米国が謝らず、逆に日本の過ちとは、如何して言えるのでしょうか。
この戦争も、当時、植民地覇権を競う英国と、米国の満州国の利害で、この両者の謀略で、日本が経済封鎖を受け、何度も米国に和平の話し合いを要請したが、当時のルーズベルト大統領は、当時ドイツと戦い苦境にあった英国のチャーチル首相と組み、戦争の武器供給で大国となった米国は、東洋の覇権を狙い、それを果たすため、この日本の和解交渉を延々と伸ばして参戦の機会を狙っていました。
日本はその当時、ソ連の侵略を受け、窮地に合った清国(現中国)を助け、ソ連の侵略阻止に、満州国を建国しましたが、その利権を米国が要求し、日本がこれに乗らなかったことで、米国は日本を侵略者とし、欧米諸国と組み、経済封鎖で日本のライフラインを閉鎖したため、生存の窮地に追込まれた日本はその資源獲得の活路に、欧米支配の植民地で属国化奴隷化した東南アジア諸国と共存共栄の会議を重ね、アジア諸国の開放を掲げて、大東亜戦争を行ったのです。
これに米国は欧州諸国や植民地に戦闘物資を供給して参戦の機会を狙っていましたが、米国と和解が出来ない日本は、その補給路を絶つため真珠湾攻撃を決行して、第二次世界大戦に突入しました。
この奇襲も米国の諜報機関は、既に把握して、空母4隻を真珠湾から既に就航させて、次の戦闘に備えていたのです。
即ち、真珠湾攻撃がルーズベルト大統領が待ちに待った米国の日本叩き参戦の理由付けを作りすかさず翌日に、ルーズベルト大統領の国会演説で、米国民に日本の卑怯さを訴えて、米国民を反日に転換させたのです。
全て仕組まれた戦略に日本は乗り、停戦協定のポツダム宣言内容を認めて終戦としましたが、結果として、世界は、日本は原爆による敗戦と、その大量虐殺が正当化され、天皇陛下が敗戦を認められたボツダム宣言条文も無視されて、GHQによ国際法に反する、敗戦国主権無視の一方的東京裁判で戦犯が裁かれ、米国の大量虐殺の戦争犯罪は未だに問われないままです。
そして日本国民を無能とする最悪の3S政策による、戦後の日本国と国民精神の解体統治が行われてきたのです。
しかし大東亜戦争の日本の誇りは、日本軍は戦時で、アジア諸国民兵を創り育てながら、共に、白人大国を打ち破ったことであり、その証左は、現在の東南アジア諸国の殆どが、独立国となっていることです。
そして当時を知るアジア諸国の人々は、日本に対して尊敬の念を未だに持ち続けています。
しかし日本の敗戦で、残念にも、これらの日本の功績が歴史から消され、日本の自虐史観を象徴する、広島の記念碑の言葉が、国民の平和意識を洗脳し続けているのです。
どんな状態でも核兵器はノー吉永小百合さんが語る [平和記念式典]
今日6日は、69年前広島に原爆投下された日で、膨大な人の命と、素晴らしい日本の文化を
一瞬に消し去った日であり、世界で唯一原爆被爆国である日本人に取って、忘れることも、
又忘れてはならない日であります。
吉永小百合さんは、朝日新婦のインタビューで、「あれだけひどい広島、長崎の原爆被害に
あったことを、みんなしっかり勉強して、どんな状況でも核兵器はノーと言ってほしい。そして、
日本人は、未来永劫核に対してアレルギーを持ってほしい」と述べ、東京福島原発事故に
ついて「核と人類は共存出来るか」の疑問に、私は「核」の本当の威力についてまだ分かって
いないが、原子力の発電は、日本は地震の多い国でもあり、又廃炉処理にしても管理問題が
あるので、止めた方がよいと思います」と話されました。
今日の広島市平和記念式典で、松井市長の「平和宣言」は、憲法のもとで69年の間、
戦争がなかった事実を受け止め、平和国家の道を歩み続けるよう、政府に要望する。
と発言し、集団的自衛権との距離を置いた、平和への訴えでありました。
私は、これら69年の長きに亘る、真摯に平和祈願を続けられる市民の方々に、心から
敬意表し、亡くなられた被災者の霊に慰霊の念を捧げます。
阿部総理もこの式典にご出席され、平和主義日本と非核三原則の発言がありましたが、
戦争を持ちこまない、仕掛けない、日本の平和主義憲法を解釈を変えて、集団的自衛権
のもとで参戦がありうるとする政治理念は、憲法理念とは明らかに異なるもので、核の問題の
根っ子に、戦争があることを忘れてはならないと思う者です。
一瞬に消し去った日であり、世界で唯一原爆被爆国である日本人に取って、忘れることも、
又忘れてはならない日であります。
吉永小百合さんは、朝日新婦のインタビューで、「あれだけひどい広島、長崎の原爆被害に
あったことを、みんなしっかり勉強して、どんな状況でも核兵器はノーと言ってほしい。そして、
日本人は、未来永劫核に対してアレルギーを持ってほしい」と述べ、東京福島原発事故に
ついて「核と人類は共存出来るか」の疑問に、私は「核」の本当の威力についてまだ分かって
いないが、原子力の発電は、日本は地震の多い国でもあり、又廃炉処理にしても管理問題が
あるので、止めた方がよいと思います」と話されました。
今日の広島市平和記念式典で、松井市長の「平和宣言」は、憲法のもとで69年の間、
戦争がなかった事実を受け止め、平和国家の道を歩み続けるよう、政府に要望する。
と発言し、集団的自衛権との距離を置いた、平和への訴えでありました。
私は、これら69年の長きに亘る、真摯に平和祈願を続けられる市民の方々に、心から
敬意表し、亡くなられた被災者の霊に慰霊の念を捧げます。
阿部総理もこの式典にご出席され、平和主義日本と非核三原則の発言がありましたが、
戦争を持ちこまない、仕掛けない、日本の平和主義憲法を解釈を変えて、集団的自衛権
のもとで参戦がありうるとする政治理念は、憲法理念とは明らかに異なるもので、核の問題の
根っ子に、戦争があることを忘れてはならないと思う者です。