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セクハラと言うけれど・・ [ハラスメント]

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近年日本の諸々の場面で、セクハラの問題が、多くの人の注目を集めるようになっています。


そもそもハラスメントとは、harassmentの訳語で、「相手を苦しめること」「相手を悩ませること」
「相手に迷惑をかけること」という意味ですが、多くの場合、「いじめ」「嫌がらせ」「蔑み」を意味
しています。


これらの行為で、「人の尊厳や人格を傷つけ、不利益や脅威を与える言動」となること、「言葉や
態度による迷惑行為」となること、「相手を他の人から除外する」ことで、人に対する「人権侵害」
と「差別」の、不当行為となるものです。


これらの行為は、職場、学校、地域、家庭などの様々な場面で、ハラスメントの加害者と被害者を
生み出して、個人や社会に、大きな問題となっているのです。


ここで、最近のハラスメント類を列記して見ますと、以下のような多様なものがあります。

パワハラ(パワー・ハラスメント)、マタハラ(マタニティー・ハラスメント)、
アルハラ(アルコール・ハラスメント)、モラハラ(モラル・ハラスメント)、
アカハラ(アカデミック・ハラスメント)、スモハラ(スモーク・ハラスメント)、
スクハラ(スクール・ハラスメント)、セクハラ(セクシャル・ハラスメント)等で、

世界で大きな問題になってから日本で生まれたカタカナ英語です。


これらを改めて眺めて見ますと、あらゆる場面に、ハラスメント問題が潜んでいると言える
のですが、一人ひとりが個性のある人間生活の世界に於いて、対立する互いの感情は
付きものであり、又その程度のレベルも多様ですので、故にこれらの一つづつを特化して
取上げ、問題視することの、それ自体が問題であって、その取上げ方が、過敏、過激、
過剰であっては、互いの、ひいては人間社会の互いの疎外感を更に大きく悪化して行く
ものではないでしょうか。


確かに今、現代社会の利己的自由の権利が謳歌されおり、核家族社会の進んだ現代では、
自分の利益以外との関わり合いは鬱陶しくなる性格が育ち、些細な点でも受け入れられない
感情の齟齬が育っていて、人への思いやりと感謝への心が低下しています。


昔の家長主義の大家族であった時代や、その後の家族同居や、長屋などの雑居が当たり前で
あった社会では、隣人との付合いが大切な日課であり、家族内では、兄弟同士の喧嘩や言い
争いは日常茶飯事のことであっても、兄弟の仲裁が入るなど環境的な調整機能が働き、その中で、
自ずと人との絡み合いを覚えて、人格の向上や人の痛さが分かる思いやりの心が育まれてきた
のですが、現代は少子化や単身世帯が圧倒して多くなり、その社会環境の変化で、利己主張
優先の社会で、このハラスメント感覚の互いの範囲狭まり、感情的にもなり、又、可なり鋭敏な
問題となって、顕現化しているのではないでしょうか。


人を思いやる心の教育や、その社会環境を個々人が志すことで、互いに相手の粗悪な言葉の
意味を補完し容認して、共感を生み、その理解から、より和やかな人間関係を作ることで、感情の
ハラスメントの質から、知的なハラスメントの課題に変化してくると考えるのです。


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