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国歌と国旗とスポーツ [ナショナリズム]

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朝日opini on tvの耕論番組で、スポーツ選手の国歌の讃頌(さんしょう)の是非が議論されています。

国旗の掲揚と国歌を歌うことは、戦後の社会でタブー視されてきており、今や祝日でも日本国全体の家庭から国旗もなくなり、国旗掲揚も、国歌讃頌も社会から消えてしまいました。

この件について論ずるとき、国民にも識者にも当然に賛否両論があり、時にその対立や扱いが話題となります。

今回のリオ五輪でも、東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会会長の森喜朗会長の、国歌を歌わない選手がいたことで、「日本の代表選手であれば、国歌を歌うのは当然」と、そして「スポーツの競技活動と国の関係を考えてほしい。」と語ったことが話題となりました。

マッカーサー統治で、日本の「歴史的虐感」教育が強要されて浸透し、日本の精神的独立が阻まれたまま、政府もこれを強要しないとして今日に至った社会があり、、故に、自国の「国旗」と「国歌」の敬意も愛着も薄らぎ、自国への誇りも喪失して、国民は、日本人としてのアイデンティテーも主張しない、事なかれ主義を平和と考える国家社会となっています。

そもそも、日本のユニフォームを着用し、全国民の声援を背に受け、国を背負うプレッシャーと、自分の誇りを胸に、力の限り戦う競技者に、その「国旗」と「国歌」の重みと、勝利し掲揚される「国旗」と聞こえる「国歌」は、自分の全てを代表する「誇り」と「誉」の存在であり、人に言われる評論的薄い是非論や価値論とは次元の異なるものと考えます。

国を代表する選手は、国際的公人のスポーツマンであり同時に私的競技者でもありますので、「国旗」と「国歌」の競技当事者の感動は、これを憲法論や政治論で切り離しての意味づけ論評などの論争は、必要のないのです。

自国と自国民を愛する人は、自国の「国歌と国旗」に、そして自国を背負い戦う五輪スポーツ選手に、理屈抜きの敬意と称賛は、至って人的姿勢です。

そして、日本人が、日本の国旗と国歌を持つことは、独立国として、至って自然なことではないでしょうか。



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