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第二次世界大戦開戦の真相はソ連の極秘暗号文書に [第二次世界大戦]

第二次世界大戦開戦を仕組んだソ連の極秘暗号文書が半世紀ぶりで公開されました。

第二次世界大戦開戦を仕掛けた英国のチャーチル首相と米国ルーズベルト大統領、そしてその陰に、大統領の知恵袋として活躍した、真犯人に、ハリー・ホワイトがいました。

ハリー・ホワイトは、第一次大戦帰国後に、ハーバード大学院で博士号を取り、その後官僚として頭角を表し、ルーズベルト政権で財務省のNO2となり、財政、金融政策を手掛けて、国際通貨基金のIMFを創設し、初代専務理事になるなどの功績を挙げ、世界の政財界で絶大な信用を得た人物です。

しかし、そのハリー・ホワイトのもう一つの顔は、「ソ連のスパイ」の顔でした。

第二次世界大戦開戦を、陰から操っていた真犯人がその「ヴェノナ文書」から浮かび上がってきたのです。

この開示で、日米大戦を引き起こしたのが、日本の軍部の暴走でもなく、ましてや、ルーズヴェルト大統領の意志だけでもない事実が、ここに証明されたのです。

日米大戦の引き金となったもう一つのの文書に「ハルノート」があります。

「ハルノート」は、日本の和平交渉を阻害する無理難題の、日本が絶対飲めない不当な経済制裁と、その内容の文書で、日本がその内容を呑むか、それとも開戦するか、を迫る日本にとって絶対受け入れることのできない絶体絶命の米国の意図的宣戦布告文書でした。

日本に対する不当な経済制裁とは、それまで米国から輸入していた石油の禁油、日本の資産凍結などで、この実施による日本のダメージは、失業者を1000万人以上が見込まれ、石油の禁輸で日本のエネルギーが立たれ、産業が壊滅し、強いては、日本が崩壊の危機に晒される致命的なものでした。

この「ハルノート」を日本提示する前日の会議で、ルーズベルト大統領は、「如何にして日本に最初の一発を撃たせる立場に追い込むか」と発言し、この記録が残っています。

この決定的開戦文書「ハルノート」を作成したのが、ハリー・ホワイトです。

そして更なる驚きは、ルーズベルト大統領は、日米開戦の4ヶ月前に、既に日中戦争の交戦中に、中華民国支援に戦闘機と軍隊を派遣し、中国軍むの空襲と見せかけた、日本の東京、横浜、大阪、京都、神戸を焼夷弾攻撃で焼き払う、偽装攻撃を開始していたのです。

また、終戦時米国務省会談記録文書で、北方領土は日本の北海道の一部でソ連に引き渡す除外とする時されたものを、ホワイトがルーズベルト大統領に提出する前にもみ消していたのです。

これらの事実が、戦後半世紀を経た機密文書から、明るみに出たのです。

即ち、日米大戦(後の第二次世界大戦) を扇動したのは、「ソ連のスパイ」ハリー・ホワイトで、それに、ドイツとの戦いに劣勢であった英国チャーチル首相の米国軍事支援要請と、支那(前、中華民国)の要請、そして、予てより満州国(清国)の利権を狙っていた米ルーズベルト大統領を見事に操り、日本を真珠湾攻撃を仕掛けさせ、一気に開戦に至らしめたのです。

即ち、米国ルーズヴェルト大統領は、日米開戦に持ち込むべく着々とその準備を広め、当時の日本の近衛首相の平和交渉を、無理難題を用いて交渉を困難なものとし、そして引き延ばし、拒否し、日本の暗号文を解読して日本の真珠湾攻撃を予測し、真珠湾から米空母を逃避させて、計画的に日本の開戦を仕向け、日本を真珠湾米艦隊を奇襲した卑怯者として米世論を戦争に煽り、日米決戦の火ぶたを切ったのです。

これらの内容が記された文書がソ連の極秘暗号文書の「ヴェノナ文書」です。
残念にも日本は、まんまとこの開戦誘導策略工作に乗せられてしまったのです。

そして、ソ連のこの日米開戦挑発の工作作戦は、「雪作戦(Operation Snow)」の名称で、その工作員はハリー・ホワイトであったのです。



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米国ルーズベルト謀略にはまった日本の第二次世界大戦参戦の真相 [第二次世界大戦]

昭和十六年、米国情報将校マッカラムは、「対日戦争挑発八項目」作成し、
日本を戦争に追い込み、当時、日本の同盟国ドイツと共に戦わせる「陰謀」を企て、
米、英、中、蘭国(ABCD包囲陣)の 経済封鎖で、日本の石油・ゴムなどの
輸入資源の殆どを供給停止状態にされます。

米大統領ルーズベルトは、更に日本の資源枯渇を決定的にする策略のハル・ノートで、
開国以来日本が多くの犠牲と努力で得た、日本のアジア大陸での正当な権益と領土と、
米国にある日本の資産、財産の全ての放棄を迫り、日本の国益と財産の全ての放棄が、
ルーズベルトの経済復興政策の失敗を埋める、日本の開戦の謀略を進めます。

ために、米国の駆逐艦の「ウォード号」による、日本潜水艦の撃沈事件を起こし、なおも
開戦を誘発し、秘密裏に、米国政府は戦争体制を整えます。

日本は開戦まで、米国との和平交渉の進展を要請しますが、米国は8ヶ月の日本側の要請と
交渉を無視し、日本の国力衰退を待ち開戦へと追い詰めます。

日本はその国力から、已む無く短期決戦を決断し、真珠湾攻撃決行となりますが、これらの
暗号情報も、既に米国で解読されおり、開戦日の日本の攻撃目標は、主力空母の米機動部隊を叩くことでしたが、機動部隊は、既に他島に移動し参戦後の反撃に備えていました。

が、政府謀略のこの臨戦作戦は、ハワイのキンメル司令官には一切知らせず、米国は日本の攻撃を知りながら、意図的にその大惨事を演出して、米参戦の口実を作るため、日本の真珠湾攻撃を成功させたのです。

この攻撃の惨事は奇襲となり、その詳細は、翌日即ニュースとなり、ルーズベルトは、それらの惨状を利用して、「日本の卑怯な奇襲」「だまし討ちをする卑怯な日本国」と、国民感情に訴え、一気に厭戦の国民を参戦に切り替え、米国が連合国軍に参加して、大東亜戦争が、その後、米国大義の第二次世界大戦に切り替わります。

それまでの日本の戦いは、アジアの西洋の植民地侵略を阻止し開放するため、アジア諸国の
独立支援と、侵略された領土の奪回を図る、日本の資源確保の「大義の大東亜戦争」でした。

現在インドを含めアジア諸国の多くが、植民地から独立国になっていることがその証です。

戦後の日本を悪者とした戦犯を裁く一方的東京裁判が、東大法学権威教授の裏切りもあり、
勝者ための裁判が行われ、マッカーサーのGHQ占領策略で、自虐史観の骨抜き日本国が
出来上がりましたが、

裁判後にパール判事は、「米国が日本に送ったのと同一の文書を他国に送れば、非力な
モナコ公国やルクセンブルク公国でさえ必ず米国に対して武力をもって立ちあがっただろう」と語っています。

そして、1946年(昭和21年)5月3日、東京で、元アメリカ大統領ハーバート・フーヴァーと連合国軍最高司令官マッカーサーは「太平洋戦争とはいったい何だったのか」を3日間にも亘って話し合った結論は、「太平洋戦争は、日本が始めた戦争じゃない。あのアメリカの『狂人・ルーズベルト大統領』と「英国のチャーチル首相」のけ仕掛けが、日米戦争を起こさせた。

気が狂っていると言っても精神異常なんかじゃない、本当に戦争をやりたくてしょうがない
その欲望の結果が、日米戦争になったんだ」と、両者の結論は同意でした。




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戦前の欧米は白人主義の人種差別植民地獲得の世界(2) [第二次世界大戦]

モンゴル国境でのノモンハン事件後、日本軍部はロシアの諜報謀略にはまり、「南進論」に転換し、中国東北部の侵略で、中華民国軍と衝突が起こり、満州事変となります。

結果満州事変で中国に勝利して、満州国を建国しますが、これがもとで、1937年には全面的な日中戦争に突入することになります。

これが、英米の植民地を攻撃することとなり、この日本の軍事強国路線に警戒心を持ち、面白くないのが、白色植民地覇権大国の欧米です。

この間の1914年のオーストリア=ハンガリー帝国の第一皇位継承者が首都サラエボで暗殺された、サラエボ事件からセルビアとの紛争から、関係諸国が絡み、連合国と中央同盟国の2分化された対戦で、ヨーロッパ全域を巻き込む100年戦争の大戦となり、これが第一次世界大戦です。

日本はこの時点では、大日本帝国と称して、連合国側のアジアで参戦し、主にドイツ植民地の奪還に当たっていました。

第一次世界大戦は、1918年11月11日に休戦協定が結ばれ、翌19年1月、講和協定が、ベルサイユで行われ、ドイツは敗戦国として、植民地の放棄、軍備解体、多大な賠償金を課せられます。

戦後、この蓄積された国民の恨みが、ナチス台頭の要因となりました。

巨大債権国の米国は、その後世界の主導的立場となり、1922年、ワシントン会議で、東南アジアと太平洋における植民地主義の大国中心利権による再編成をえ行い、日本は、中国内のドイツ植民地利権、シベリア侵攻地域からの撤退、海軍軍備制限、を呑むこととなりました。

その後、英米は日本軍の南進を阻むため、経済封鎖に踏み切り、日本を孤立化させます。

これが、第一次世界戦争中に日本が行った、東南アジア植民地解放を目指した大東亜戦争から、ナチス台頭で英仏に宣戦布告し、イタリアと共戦同盟し、そして、日本も同調し、独伊日同盟を結成したことで、連合側から反感を買い、これが、米国と対峙理由とされ、米国主導の第二次世界大戦への導火線となったのです。



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