言葉を忘れた子が言葉が話せる奇跡を産む [身障者]
永石日香莉ちゃん(7歳 佐賀県武雄市)は、出生直ぐに「四肢短縮症」となり、新生児
集中治療室に入り、視力も聴力も弱く、日香莉さんの首が据わったのも5歳と言われます。
生後5ヶ月で、気管支切開をしたために声を出すことができず、自己の表現のもどかしさに
手足をバタツカセたり、涙をこぼすなどで、ベットで苦しみもがいていたと言います。
この日香莉ちゃんを変える出来事が起こりました。
それは、2歳の頃に言語聴覚士に進められて「iPod touch」を購入して与えましたが、全く
興味を見せませんでしたが、2人の兄が楽しそうにそのゲームをするのを見て興味を示して
手放さなくなったこと。
そして、母親の美恵子さんが、多くの児童と一緒の方が日香莉ちゃんの能力を伸ばせるの
ではないかと、重度障害児の特別支援学校で勉強させようとした時、2人の兄弟の後押し
の応援があり、その特別支援学級に入り、先生との1対1での学習で、以前から興味を示し
た「iPod touch」の延長で、「タブレット」での学習をしたことです。
「タブレット」では、挨拶や体調を知らせるアイコンのタッチで、タブレットがそれらを音声で
言葉を話すことを覚えさせ、次には日常接する「モノ」の単語を学習させ、次には漢字の
練習や算術の計算を、先制のカードを用いた問いに「タブレット」を通じて回答することを
この1年で学び、現在では、通常学級の1年生と遜色のない能力を付けていると言います。
この双方のコミュニケ―ションと学習の成果には、先生方も驚きでとなっています。
集中治療室に入り、視力も聴力も弱く、日香莉さんの首が据わったのも5歳と言われます。
生後5ヶ月で、気管支切開をしたために声を出すことができず、自己の表現のもどかしさに
手足をバタツカセたり、涙をこぼすなどで、ベットで苦しみもがいていたと言います。
この日香莉ちゃんを変える出来事が起こりました。
それは、2歳の頃に言語聴覚士に進められて「iPod touch」を購入して与えましたが、全く
興味を見せませんでしたが、2人の兄が楽しそうにそのゲームをするのを見て興味を示して
手放さなくなったこと。
そして、母親の美恵子さんが、多くの児童と一緒の方が日香莉ちゃんの能力を伸ばせるの
ではないかと、重度障害児の特別支援学校で勉強させようとした時、2人の兄弟の後押し
の応援があり、その特別支援学級に入り、先生との1対1での学習で、以前から興味を示し
た「iPod touch」の延長で、「タブレット」での学習をしたことです。
「タブレット」では、挨拶や体調を知らせるアイコンのタッチで、タブレットがそれらを音声で
言葉を話すことを覚えさせ、次には日常接する「モノ」の単語を学習させ、次には漢字の
練習や算術の計算を、先制のカードを用いた問いに「タブレット」を通じて回答することを
この1年で学び、現在では、通常学級の1年生と遜色のない能力を付けていると言います。
この双方のコミュニケ―ションと学習の成果には、先生方も驚きでとなっています。
マーティン・ピストリウス13年の仮死からの奇跡(2) [身障者]
ヴァーナの介護は、植物状態のヴァーナに、色々の話題を話しながら忍耐強く
献身的な介護をしてくれました。
そして3年が経過した時に、ヴァーナはピストリウスの動作で、ピストリウスが
麻痺の身体を動かし、自分の意志を伝えようとしていることに気付く奇跡が起こ
ったのです。(意識の完全回復は19歳)
この時既に13年が経過していました。
ヴァーナは、ピストリウスの意識を他に証明するために、様々な検査を受けさ
せました。この機からピストリウスの身体は次第に回復に向かい、話すこと歩く
ことはできませんが、アルファベット、コンピュータ、合成音声の手法を学び、
遂には、プレトリア大学で教育学部の学位を取得したのです。
この流れから、世界の様々な会議や公演にゲストとして招待されるようになり、
更に妹の友人でイギリス在住のジョアンナト出会い結婚しました。
現在は、イギリスに住み、ウェブデザイン事業で生計を立てています。
今では母親の絶望の「貴方は死ぬべきだ」と言った言葉が理解できると言います。
マーティン・ピストリウスの病名は、「クリプトコッカス脳炎」又は「結核脳」では
ないかと言われています。
【マーティン・ピストリウス】
献身的な介護をしてくれました。
そして3年が経過した時に、ヴァーナはピストリウスの動作で、ピストリウスが
麻痺の身体を動かし、自分の意志を伝えようとしていることに気付く奇跡が起こ
ったのです。(意識の完全回復は19歳)
この時既に13年が経過していました。
ヴァーナは、ピストリウスの意識を他に証明するために、様々な検査を受けさ
せました。この機からピストリウスの身体は次第に回復に向かい、話すこと歩く
ことはできませんが、アルファベット、コンピュータ、合成音声の手法を学び、
遂には、プレトリア大学で教育学部の学位を取得したのです。
この流れから、世界の様々な会議や公演にゲストとして招待されるようになり、
更に妹の友人でイギリス在住のジョアンナト出会い結婚しました。
現在は、イギリスに住み、ウェブデザイン事業で生計を立てています。
今では母親の絶望の「貴方は死ぬべきだ」と言った言葉が理解できると言います。
マーティン・ピストリウスの病名は、「クリプトコッカス脳炎」又は「結核脳」では
ないかと言われています。
【マーティン・ピストリウス】
マーティン・ピストリウス13年の仮死からの奇跡(1) [身障者]
マーティン・ピストリウス(25)が、アンリバボーで衝撃の報道がされました。
南アフリカのプレトリア郊外で住み、両親と兄弟3人家族の長兄で、明るく賢い
自慢の息子であったマーティン・ピストリウスは、1988年、12歳の時、突然、
頭とのどが痛いと訴え医師の診察を受けましたが、その原因が分からず、徐々に
体がマヒ状態となり1年半後にこん睡状態に落ちました。
医師からは回復の見込みはないと伝えられ、13歳のピストリウスは仮死状態の
まま、意識不明の植物人間となり、そのまま13年間の仮死状態に入ります。
そのピストリウスが、昏睡の仮死状態から覚め始めたのは4年後の16歳の時で
したが、身体はマヒの植物状態のままで話すことも動くこともできず、家族に
も気付かれないままに、ピストリウスが原因で起こる両親の口喧嘩などがあり、
時に母親は苦しさの余りに「貴方は死ぬべきだ」と発したと言います。
その月日の流れに疲れた家族は、気分転換の旅行に出た時の在る日、ピストリ
ウスを介護施設に預けられました。
その介護施設に6年入ることになりましたが、その施設の一部介護士から、
つねられたり床に落とされたりなとの諸々の迫害を受け、自殺も出来ない
身体で生き地獄の毎日を過ごします。
この生き地獄の中で、ある日その介護施設に新しく看護師兼療法士のヴァーナが
就任してきたのです。
このヴァーナがピストリウスの担当となり、この出会いが、ピストリウスを生き
地獄から救うことになります。
南アフリカのプレトリア郊外で住み、両親と兄弟3人家族の長兄で、明るく賢い
自慢の息子であったマーティン・ピストリウスは、1988年、12歳の時、突然、
頭とのどが痛いと訴え医師の診察を受けましたが、その原因が分からず、徐々に
体がマヒ状態となり1年半後にこん睡状態に落ちました。
医師からは回復の見込みはないと伝えられ、13歳のピストリウスは仮死状態の
まま、意識不明の植物人間となり、そのまま13年間の仮死状態に入ります。
そのピストリウスが、昏睡の仮死状態から覚め始めたのは4年後の16歳の時で
したが、身体はマヒの植物状態のままで話すことも動くこともできず、家族に
も気付かれないままに、ピストリウスが原因で起こる両親の口喧嘩などがあり、
時に母親は苦しさの余りに「貴方は死ぬべきだ」と発したと言います。
その月日の流れに疲れた家族は、気分転換の旅行に出た時の在る日、ピストリ
ウスを介護施設に預けられました。
その介護施設に6年入ることになりましたが、その施設の一部介護士から、
つねられたり床に落とされたりなとの諸々の迫害を受け、自殺も出来ない
身体で生き地獄の毎日を過ごします。
この生き地獄の中で、ある日その介護施設に新しく看護師兼療法士のヴァーナが
就任してきたのです。
このヴァーナがピストリウスの担当となり、この出会いが、ピストリウスを生き
地獄から救うことになります。
暗い世界に住む人たち [身障者]
昨日は、精神系障害者の社会復帰支援事業会社で毎年1回のイベントの
精神系身障者が日々の仕事に対する自分発見の発表会があり、それに
参加してきましたが、今年もその半数の顔ぶれが変わっていました。
尋ねますと、病状が悪化して職場出者を拒否している方、親元に帰った方、
自分に何ができるかを探しに来た方など、色々でした。
働きながらの治療に、その人の疾病にも軽重があり、底辺に合わせた
単純な作業が多いのですが、全員の報告の中に、顧客から「ありがとう」
と言われることが唯一の励みとなると話していました。
長年周りで見るしかない私ですが、何時も疑問に感じることに、
精神科医の、レベルと意力があります。
通常の診断では、脳神経を見ることができず、その原因の追及と治療は、
その専門医に任せるしかないのが現実であり、この治療が長期に及んでも、
その正しさを判断できない現状にあります。
そのため、先の見えない治療を継続し、その服薬が長く続くのですが、
この医師の投薬は、その実態が不明なままの対症療法と見えます。
これでは、国民の善意による社会復帰支援の効果を図ることができず、
何とも納得の行かない、医療任せの、素人口出し禁止治療制度と言うしか
ありません。
この関連で、身障者は苦しみを継続し、人生の目標を失い、その診療環境を
受け入れて、社会復帰か伸び、生活保護が批判され、更にその生きている
だけの生活さえも脅かされる恐れとなっています。
脳医学者、リハビリー、治療専門医が連携の攻めの医療が求められます。
精神系身障者が日々の仕事に対する自分発見の発表会があり、それに
参加してきましたが、今年もその半数の顔ぶれが変わっていました。
尋ねますと、病状が悪化して職場出者を拒否している方、親元に帰った方、
自分に何ができるかを探しに来た方など、色々でした。
働きながらの治療に、その人の疾病にも軽重があり、底辺に合わせた
単純な作業が多いのですが、全員の報告の中に、顧客から「ありがとう」
と言われることが唯一の励みとなると話していました。
長年周りで見るしかない私ですが、何時も疑問に感じることに、
精神科医の、レベルと意力があります。
通常の診断では、脳神経を見ることができず、その原因の追及と治療は、
その専門医に任せるしかないのが現実であり、この治療が長期に及んでも、
その正しさを判断できない現状にあります。
そのため、先の見えない治療を継続し、その服薬が長く続くのですが、
この医師の投薬は、その実態が不明なままの対症療法と見えます。
これでは、国民の善意による社会復帰支援の効果を図ることができず、
何とも納得の行かない、医療任せの、素人口出し禁止治療制度と言うしか
ありません。
この関連で、身障者は苦しみを継続し、人生の目標を失い、その診療環境を
受け入れて、社会復帰か伸び、生活保護が批判され、更にその生きている
だけの生活さえも脅かされる恐れとなっています。
脳医学者、リハビリー、治療専門医が連携の攻めの医療が求められます。