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言葉を忘れた子が言葉が話せる奇跡を産む [身障者]

永石日香莉ちゃん(7歳 佐賀県武雄市)は、出生直ぐに「四肢短縮症」となり、新生児
集中治療室に入り、視力も聴力も弱く、日香莉さんの首が据わったのも5歳と言われます。

生後5ヶ月で、気管支切開をしたために声を出すことができず、自己の表現のもどかしさに
手足をバタツカセたり、涙をこぼすなどで、ベットで苦しみもがいていたと言います。

この日香莉ちゃんを変える出来事が起こりました。

それは、2歳の頃に言語聴覚士に進められて「iPod touch」を購入して与えましたが、全く
興味を見せませんでしたが、2人の兄が楽しそうにそのゲームをするのを見て興味を示して
手放さなくなったこと。

そして、母親の美恵子さんが、多くの児童と一緒の方が日香莉ちゃんの能力を伸ばせるの
ではないかと、重度障害児の特別支援学校で勉強させようとした時、2人の兄弟の後押し
の応援があり、その特別支援学級に入り、先生との1対1での学習で、以前から興味を示し
た「iPod touch」の延長で、「タブレット」での学習をしたことです。

「タブレット」では、挨拶や体調を知らせるアイコンのタッチで、タブレットがそれらを音声で
言葉を話すことを覚えさせ、次には日常接する「モノ」の単語を学習させ、次には漢字の
練習や算術の計算を、先制のカードを用いた問いに「タブレット」を通じて回答することを
この1年で学び、現在では、通常学級の1年生と遜色のない能力を付けていると言います。

この双方のコミュニケ―ションと学習の成果には、先生方も驚きでとなっています。



マーティン・ピストリウス13年の仮死からの奇跡(2) [身障者]

ヴァーナの介護は、植物状態のヴァーナに、色々の話題を話しながら忍耐強く
献身的な介護をしてくれました。

そして3年が経過した時に、ヴァーナはピストリウスの動作で、ピストリウスが
麻痺の身体を動かし、自分の意志を伝えようとしていることに気付く奇跡が起こ
ったのです。(意識の完全回復は19歳)

この時既に13年が経過していました。

ヴァーナは、ピストリウスの意識を他に証明するために、様々な検査を受けさ
せました。この機からピストリウスの身体は次第に回復に向かい、話すこと歩く
ことはできませんが、アルファベット、コンピュータ、合成音声の手法を学び、
遂には、プレトリア大学で教育学部の学位を取得したのです。

この流れから、世界の様々な会議や公演にゲストとして招待されるようになり、
更に妹の友人でイギリス在住のジョアンナト出会い結婚しました。
現在は、イギリスに住み、ウェブデザイン事業で生計を立てています。

今では母親の絶望の「貴方は死ぬべきだ」と言った言葉が理解できると言います。

マーティン・ピストリウスの病名は、「クリプトコッカス脳炎」又は「結核脳」では
ないかと言われています。

【マーティン・ピストリウス】


マーティン・ピストリウス13年の仮死からの奇跡(1) [身障者]

マーティン・ピストリウス(25)が、アンリバボーで衝撃の報道がされました。

南アフリカのプレトリア郊外で住み、両親と兄弟3人家族の長兄で、明るく賢い
自慢の息子であったマーティン・ピストリウスは、1988年、12歳の時、突然、
頭とのどが痛いと訴え医師の診察を受けましたが、その原因が分からず、徐々に
体がマヒ状態となり1年半後にこん睡状態に落ちました。

医師からは回復の見込みはないと伝えられ、13歳のピストリウスは仮死状態の
まま、意識不明の植物人間となり、そのまま13年間の仮死状態に入ります。

そのピストリウスが、昏睡の仮死状態から覚め始めたのは4年後の16歳の時で
したが、身体はマヒの植物状態のままで話すことも動くこともできず、家族に
も気付かれないままに、ピストリウスが原因で起こる両親の口喧嘩などがあり、
時に母親は苦しさの余りに「貴方は死ぬべきだ」と発したと言います。

その月日の流れに疲れた家族は、気分転換の旅行に出た時の在る日、ピストリ
ウスを介護施設に預けられました。

その介護施設に6年入ることになりましたが、その施設の一部介護士から、
つねられたり床に落とされたりなとの諸々の迫害を受け、自殺も出来ない
身体で生き地獄の毎日を過ごします。

この生き地獄の中で、ある日その介護施設に新しく看護師兼療法士のヴァーナが
就任してきたのです。

このヴァーナがピストリウスの担当となり、この出会いが、ピストリウスを生き
地獄から救うことになります。



暗い世界に住む人たち [身障者]

昨日は、精神系障害者の社会復帰支援事業会社で毎年1回のイベントの
精神系身障者が日々の仕事に対する自分発見の発表会があり、それに
参加してきましたが、今年もその半数の顔ぶれが変わっていました。


尋ねますと、病状が悪化して職場出者を拒否している方、親元に帰った方、
自分に何ができるかを探しに来た方など、色々でした。


働きながらの治療に、その人の疾病にも軽重があり、底辺に合わせた
単純な作業が多いのですが、全員の報告の中に、顧客から「ありがとう」
と言われることが唯一の励みとなると話していました。


長年周りで見るしかない私ですが、何時も疑問に感じることに、
精神科医の、レベルと意力があります。


通常の診断では、脳神経を見ることができず、その原因の追及と治療は、
その専門医に任せるしかないのが現実であり、この治療が長期に及んでも、
その正しさを判断できない現状にあります。


そのため、先の見えない治療を継続し、その服薬が長く続くのですが、
この医師の投薬は、その実態が不明なままの対症療法と見えます。


これでは、国民の善意による社会復帰支援の効果を図ることができず、
何とも納得の行かない、医療任せの、素人口出し禁止治療制度と言うしか
ありません。


この関連で、身障者は苦しみを継続し、人生の目標を失い、その診療環境を
受け入れて、社会復帰か伸び、生活保護が批判され、更にその生きている
だけの生活さえも脅かされる恐れとなっています。


脳医学者、リハビリー、治療専門医が連携の攻めの医療が求められます。



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