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集団的自衛権に反対は、「平和ボケ」とする識者の論評に反論 [平和憲法の歴史的危機]

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夕刊フジの政治社会欄に、細川珠生氏の掲題の言葉があり、阿部政権の集団的自衛権を
容認した勇気を称え、日本はこの「平和ボケ」脱却して、本当の世界一員になるべきとの論が
展開されていました。


先の調査で、集団的自衛権の賛否を問うた調査が、反対派が過半数を上回ったことに
ついての「平和ボケ」の論評です。


つい最近、広島と長崎の原爆死没者慰霊式の「平和記念式典」が行われたばかりであり、
国民の多くは、平和への願いを深めたばかりです。


まして、戦後半世紀近くこの平和憲法のもと、世界戦化が絶えない中、何とか内外の
知恵を絞り、自衛隊も弾丸1発もうつことなく、この乱世を凌いできたのです。


日本の「平和ボケ」とののしる氏は、この努力と、この意思は、何処から来ていると考えて
いるのでしょうか。


力で威圧する戦略は、もはや不要としなくてはならないのです。
これに長年自分の生命や人生を掛けて平和運動している人たちを、「平和ボケ」と言う
言葉が使えるのでしょうか。


それこそが「平和ボケ」と言えませんか。


世界警察と言われた米国との集団的自衛権は、その原点は、権力の政策にあります。
国内でも警察が必要なように、世界も警察的機能は必要でしょう。


だからと言ってそれが「集団的自衛権」を正当化するものではないはずです。

平和への手段は、力も必要ですが、その使い方を規定することが必要です。
現在の「寄らば大樹の陰」の政策は、権力依存主義の考え方であり、至って自然で
受動的生存の姿です。


日本は「戦争放棄」を世界に掲げて半世紀努力しているのです。
集団的自衛権の容認は、国防の危機感を理由に、正当化する政策で、今までの
不戦の理念を外すものです。


日本の安全保障は、むしろ、米国の武力参戦を平和へ抑制する力を持つことが必要です。
この実現は、「平和ボケ」トは、真逆の平和理念が無くてはならないものです。


日本は、世界で原爆の被害を知るただ一つの国で、この悲惨さは、不戦悲願の
原点になるものです。そして、平和のリーダー国として歩む道なのです。


国の一貫した不戦平和理念の希求が、世界と国連を動す、日本国民の「誇り」なのです。


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