SSブログ

旧ソ連軍最後の日本スパイ ミハイル・イワノフ氏の死去(1) [核兵器]

スポンサーリンク




元ソ連スパイイワノフ氏「原爆の遺書」
これは今年、101歳で亡くなられた、ミハイル・イワノフ氏のニュースです。


イワノフ氏は、ソ連と当時、平和条約を結んでいた日本で、東京ソ連大使館の参謀本部情報総局
(GRU)に在籍し、諜報部員として活動をしていましたが、第2次世界大戦末期の8月6日と9日に、
広島と長崎に原爆が投下された昭和45(1960)年の直後に、ソ連の国家命令を受けて、原爆の
威力を調査し、軍の高官に、その「原爆調査報告書」を提出しました。


この諜報調書活動は、連合軍が駐留する前に、イワノフ氏が同僚のゲルマン・セルゲーエフ氏と
共に現地に入り、放射線の知識も持たずに、原爆爆心地の地形や、異常に溶けて吐き気の匂い
がする石などの確証資料を収集し持ち帰ることや、その爆発の威力の規模を測定するなどの
諜報活動を行ってまとめたものです。


このイワノフ氏の生命を賭けて調査した、その「原爆調査報告書」は、残念ながら今なおその
所在が不明ですが、生前親しかった日ロ関係史の研究著者でもある、キリチェンコ氏(78)に、
時折に、原爆直後の氏の私体験を語っていたと言います。


通常、諜報活動やその内容は極秘事項であり、生涯に、例え親族でも漏らしてはならない
厳命のもので、故に、その報告書の詳細内容は不明のままですが、イワノフ氏と親しかった
キリチェンコ氏(78)は仕事柄、生前に時に語ったイワノフ氏の私的な原爆惨事状況の話を、
広島「SF世界のような光景」の証言としてまとめ記録していました。


その後に同僚は、その残留放射線を被爆して亡くなりました。
幸いにもイワノフ氏は、101歳の今年まで生きる事が出来ました。


つづく・・[旧ソ連軍最後の日本スパイ ミハイル・イワノフ氏の死去(2)]



スポンサーリンク





nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:ニュース

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

トラックバック 0

トラックバックの受付は締め切りました