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原爆の日と核兵器禁止条約 [核兵器]

核兵器禁止条約と核軍縮の歩

世界で最初に原爆が投下された8月6日と9日は、日本にとって特別な日であります。
原爆記念日は、この人類の惨劇を永久に忘れず、世界の核兵器廃絶により平和な世界を祈念する日であり、私たち国民が核について考える日でもあます。

昨2017年の7月7日、二ューヨークの国連本部で、国連加盟国の大半が、世界の核兵器廃絶に向けた「核兵器禁止条約」が採択されてから丁度1年になります。

これまでにこの条約に署名した国及び地域は59、批准は11で計70ヵ国となりましたが、条約の法的発効には なお50ヵ国の批准が必要で、この発効まであと2~3年かかると見られています。

本条約は、第1条で、参加国の法的義務を規定し、核兵器その他の核起爆装置の開発、実験、生産、製造、取得、保有、貯蔵、移譲、受領、使用、威嚇を禁じ、配置、設置、配備の許可を禁じ、他の締約国に対して、禁止されている活動を行うことにつき、援助、奨励、勧誘も禁じています。

更に、第12条で条約の普遍性を謳い、その前の各条文で核兵器保有国が放棄を決断した場合の廃棄の手続きを規定、更に第16条で、留保付き参加を禁止して、完全な核廃絶の実現に向けて、抜け道を塞いだ内容となっています。

即ち本条約は、核兵器を保有せず、その廃絶を目指す国にとって「核兵器なき世界」を具現する理想的な内容となっているのです。

現在、世界の量的核兵器の保有数で略100%を占める米国を主の自由陣営と、ロシアを主の共産陣営の2陣営のイギリス、フランス、そして中華民国の5ヵ国が、既に1968年、両陣営間での「核拡散防止条約」NPTと「軍縮管理条約」が調印されましたが、このNPT条約は、核廃絶を目指す条約義務はなく、核兵器国の意向で、無期限に核兵器保有を許容する条約とも解釈できる内容となっているのです。

この様に、核保有国と非核保有国では、今なお核の保有について大きな戦略の隔たりがあり、日本は、被爆国でありながら、核に守られる必要性から、憲法では非核保有国でありながら、これを批准しますと、核保有大国に無手勝流の存在となるため、また、核保有国に対する交渉能力が皆無となる恐れから、本批准は、現実的ではないと判断する立場をとっています。

今回8月9日の長崎の原爆の日に、初めて国連のグテーレス事務総長が式典に参加演説して、氏は、「核軍縮プロセスが失速し、ほぼ停止している。多くの国が昨年、核兵器禁止条約を採択したことで、核軍縮プロセスの失速に不満を示した」と、米トランプ米政権が、核兵器の小型化の「使える核」の開発をめざすし、国連への「圧力」を掛ける中で、非常に勇気ある発言をしました。
この背景には、「核保有国は、核兵器の近代化の軍拡競争で、昨年度の資金が、1兆し7千億ドル以上を使っており、この規模は、冷戦終了後の最高水準となっているのです。

非核保有国と平和を掲げる日本は、核論争の荒波を如何なる英知と力量で乗り切るのでしょうか。



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北朝鮮核兵器開発制止に安保理決議全会一致 [核兵器]

北朝鮮の核兵器開発暴走を制止する安保理事会開催で、最終的と言える原油供給禁止を含む厳しい米源案を基とした日米韓の三ヵ国合同の提案が、11日議決を目途に審議に入りましたが、中ソの慎重姿勢でその成立が危ぶまれました。

安倍首相は、「国際社会がしっかりと決議を履行していくことが求められる。これまでにない高いレベルの圧力をかけ、北朝鮮の政策を変えさせることが大切だ」とし、更に「北朝鮮が一連の安保理決議を順守し、朝鮮半島の非核化に向けた真剣な意思と具体的行動を直ちに示すことを強く求める」と第話を発表して、中ソに安保理決議賛同を促しました。

その後中ソを含む諸国の水面下での厳しい交渉を重ね、米原案の原油供給を前年量を限度とする。などの修正で、中ソが賛同の目途が立ち、安保理事会は12日、この新たな北朝鮮制裁決議に掛けられ、全会一致で採択されました。

中国の劉結一国連大使は、11日、北朝鮮に対し、核兵器や弾道ミサイルの開発中止を求める「国際社会の決意と期待を真摯(しんし)に受け止める」よう呼びかけ、また、全ての当事者に冷静さを保ち、緊張感をあおらないよう求めました。

北朝鮮の核兵器開発制止の安保理制裁5回目の決議内容は、北朝鮮の石炭輸出に上限を設ける、北朝鮮の労働者の雇用を禁止する、資産凍結と金融サービス提供の禁止強化、ミサイル関連禁輸対象品目の追加指定、自国領域内の貨物検査、禁制品運搬の疑いのある航空機の離着陸・上空通過禁止、等です。

北朝鮮は、この決議で核兵器の開発を中止することはないと考えますが、中ソが揃い、安保理事会の制裁決議で、核兵器開発の制限を表明したことは、初めて効果のある制止段階に入ったと言えるでしょう。



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オバマ大統領広島訪問の人類生存の意義とその陰に [核兵器]

オバマ大統領の広島訪問5月27日は、人類の歴史的な1ページとなったもので、原爆を経験の広島市民の皆さんと共に日本全国民の願いでもありました。

全人類世界歴史の中で、日本国ただ一国だけが、しかも広島と長崎の狙われた都市に、悪魔の原爆投下を受け、一瞬で灰と化した罪なき30万人規模の悲惨極まる死刑執行は、日本国民に与えられた悪夢であり、道理や論理を超えた犯罪行為で、故に日本国民のみが、運命的非核世界実現の義務と使命を背負った人類となったのです。

狙われたとするのは、国際的に敗戦を確定後の日本に、敢えて、未だ焦土化していない都市を選び、原爆効果確認で投下したことが明らかだからです。

勝者は善で敗者は悪の戦争の世界で、米国は未だに、原爆投下の意義の有効性を保持しようとしていますが、この世相の中で、オバマ大統領の被爆地広島の訪問は、全世界に核使用の廃絶を促す顕現された慰霊意思の行動であり、人類の非核化を象徴する第一歩となった当に歴史的行動なのです。

勿論この実現には、原爆被害者を核とする多くの人々の長きにわたる強い想いと行動があります。

このオバマ大統領の広島訪問は、2009年にその実現の可能性がありましたが、時の鳩山内閣での外務次官の「未だ訪問は早期、」と米国大使に宛てた書簡が機密情報公開の「キリークス」で報道されたと言う、日本国民として、極めて苦い非国民的な話もこれあり、政治も目先の利益を考える現世に、漸く、崇高な人間感覚の一つの光が灯った日となったのです。



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旧ソ連軍最後の日本スパイ ミハイル・イワノフ氏の死去(3) [核兵器]

[原爆投下でソ連の参戦から核開発競争時代の幕開け]

ソ連が8日に、日本との平和条約を破棄し、宣戦布告をして参戦したのは、当時ソ連が原爆
を保持しておらず、ソ連は原爆の威力の解明を急ぐ必要があったと言われます。


それは、ソ連が日本での地の利を生かして、イワノフ氏と同僚のセルゲーエフ氏へ出した
「調査命令」で、米国が広島で原爆の予備調査を始める20日以上前でした。


その後「核の時代」の幕開けとなり、原爆の対立から、米国がソ連の都市を核攻撃すると
した情報で米ソの冷戦時代に入り、ソ連は躍起となって原爆の開発に取り組み、遂に
1949年に原爆の開発にこぎつけたのです。


歴史は本当に奇なことから動かされています。


尚、キリチェンコ氏は、イワノフ氏との長い付き合いの中で、日本人を悪く言うのを聞いた
ことが無いと話しています。

さて、肝心の当時高官5人に渡したとされるイワノフ氏の「調査報告書」ですが、ソ連が
別に送った調査団の45年9月と連合軍総司令部の調査団(ソ連4名)の46年9月の報告書は、
現在のロシアのモスクワにある外交史館に保管されています。


高官5人とは、最高指導者スターリン、ベリヤ(副首相、核開発最高責任者)、マレンコフ
(スターリン側近)、ミコヤン(副首相)、モロトフ(外相)の5人ですが、その報告書は、
「事案125 原爆」と題されたファイルにある計37ページの極秘資料で、90年4月に機密
解除されたと言われます。


イワノフ氏以外の調査報告書に関する、当時の欧米のプロパガンダは、誇大にその効果
を報道し、終戦直前に参戦したソ連側は、その威力を過小評価するバイアスが掛けられたと、
この取材の朝日新聞は伝えています。

取材は、イワノフ氏の調査が現在も未発見ですが、キリチェンコ氏にイワノフ氏が見たまま
の真実の報告書の話は、一番ニュートラルな証言であるとしています。



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旧ソ連軍最後の日本スパイ ミハイル・イワノフ氏の死去(2) [核兵器]

 [イワノフ・ソ連諜報員が見た原爆の惨事]

イワノフ氏は、原爆下の惨事を、「爆心地で見たものは、約1km四方のまっ平らな空間で、
まるで巨大なローラーで挽き固めたようだった」と、そして、「生き残った人たちは、その
瓦礫を集めて一時しのぎのあばら家を立てていた」と、また長崎では、役所の床で一夜を
過ごしましたが、死体の死臭と苦痛のうめき声や、無残な姿が脳裏に浮かぶなどで、
一睡もできなかったと語ったと言います。


そして、原爆投下後62年を経て95歳となったイワノフ氏は、キリチェンコ氏に、「調査報告書
や回収品、写真などの全てを最高司令部に提出した」と話しています。


イワノフ氏は調査被爆後は、モスクワ軍事病院に入れられて、1年間の入院検査を受け
ましたが、同じ被爆で、イワノフ氏とセルゲーエフ氏と、その生と死の生命を分けたとする
原因の結論は、イワノフ氏が広島までの列車の車中で、「サントリーウイスキー」を、一人で
1本空け、セルゲーエフ氏は、酒を断っていた結果だと結論付けました。


これの以後、ソ連原子力施設で働く職員は、少量のアルコール摂取を義務付けられる
ことになり、原子力潜水艦内でも核の放射線防御に、この1杯のアルコール摂取が
規制化されて、その1杯の通称を、「イワノフのコップ」と言っているそうです。


アルコールの放射能防御効果について、日本の「放射能医療総合研究所」は、ビール
についての研究で、その成分に防御効果があるとしながら、科学的定説ではないとしています。



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旧ソ連軍最後の日本スパイ ミハイル・イワノフ氏の死去(1) [核兵器]

元ソ連スパイイワノフ氏「原爆の遺書」
これは今年、101歳で亡くなられた、ミハイル・イワノフ氏のニュースです。


イワノフ氏は、ソ連と当時、平和条約を結んでいた日本で、東京ソ連大使館の参謀本部情報総局
(GRU)に在籍し、諜報部員として活動をしていましたが、第2次世界大戦末期の8月6日と9日に、
広島と長崎に原爆が投下された昭和45(1960)年の直後に、ソ連の国家命令を受けて、原爆の
威力を調査し、軍の高官に、その「原爆調査報告書」を提出しました。


この諜報調書活動は、連合軍が駐留する前に、イワノフ氏が同僚のゲルマン・セルゲーエフ氏と
共に現地に入り、放射線の知識も持たずに、原爆爆心地の地形や、異常に溶けて吐き気の匂い
がする石などの確証資料を収集し持ち帰ることや、その爆発の威力の規模を測定するなどの
諜報活動を行ってまとめたものです。


このイワノフ氏の生命を賭けて調査した、その「原爆調査報告書」は、残念ながら今なおその
所在が不明ですが、生前親しかった日ロ関係史の研究著者でもある、キリチェンコ氏(78)に、
時折に、原爆直後の氏の私体験を語っていたと言います。


通常、諜報活動やその内容は極秘事項であり、生涯に、例え親族でも漏らしてはならない
厳命のもので、故に、その報告書の詳細内容は不明のままですが、イワノフ氏と親しかった
キリチェンコ氏(78)は仕事柄、生前に時に語ったイワノフ氏の私的な原爆惨事状況の話を、
広島「SF世界のような光景」の証言としてまとめ記録していました。


その後に同僚は、その残留放射線を被爆して亡くなりました。
幸いにもイワノフ氏は、101歳の今年まで生きる事が出来ました。


つづく・・[旧ソ連軍最後の日本スパイ ミハイル・イワノフ氏の死去(2)]




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