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旧ソ連軍最後の日本スパイ ミハイル・イワノフ氏の死去(3) [核兵器]

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[原爆投下でソ連の参戦から核開発競争時代の幕開け]

ソ連が8日に、日本との平和条約を破棄し、宣戦布告をして参戦したのは、当時ソ連が原爆
を保持しておらず、ソ連は原爆の威力の解明を急ぐ必要があったと言われます。


それは、ソ連が日本での地の利を生かして、イワノフ氏と同僚のセルゲーエフ氏へ出した
「調査命令」で、米国が広島で原爆の予備調査を始める20日以上前でした。


その後「核の時代」の幕開けとなり、原爆の対立から、米国がソ連の都市を核攻撃すると
した情報で米ソの冷戦時代に入り、ソ連は躍起となって原爆の開発に取り組み、遂に
1949年に原爆の開発にこぎつけたのです。


歴史は本当に奇なことから動かされています。


尚、キリチェンコ氏は、イワノフ氏との長い付き合いの中で、日本人を悪く言うのを聞いた
ことが無いと話しています。

さて、肝心の当時高官5人に渡したとされるイワノフ氏の「調査報告書」ですが、ソ連が
別に送った調査団の45年9月と連合軍総司令部の調査団(ソ連4名)の46年9月の報告書は、
現在のロシアのモスクワにある外交史館に保管されています。


高官5人とは、最高指導者スターリン、ベリヤ(副首相、核開発最高責任者)、マレンコフ
(スターリン側近)、ミコヤン(副首相)、モロトフ(外相)の5人ですが、その報告書は、
「事案125 原爆」と題されたファイルにある計37ページの極秘資料で、90年4月に機密
解除されたと言われます。


イワノフ氏以外の調査報告書に関する、当時の欧米のプロパガンダは、誇大にその効果
を報道し、終戦直前に参戦したソ連側は、その威力を過小評価するバイアスが掛けられたと、
この取材の朝日新聞は伝えています。

取材は、イワノフ氏の調査が現在も未発見ですが、キリチェンコ氏にイワノフ氏が見たまま
の真実の報告書の話は、一番ニュートラルな証言であるとしています。


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