SSブログ

104歳の帰らぬ若き夫を待った妻と特攻死を選択した妻 [終戦記念日]

スポンサーリンク




戦中、旧満州国や中国に軍属として現地に渡った日本人は、何十万人にもなりますが、
その中の1人の、宮城県出身の小野周之助さんは、旧満州(現在の中国) 鞍山で日本人
学校の校長を務めていました。

終戦で邦人は現地の暴徒に暴行や略奪、子女が襲われる事件が多発しましたが、軍の
多くは市民を見捨てて、戦線を縮小し南東部の都市に、及び帰還の途に就き、準備の
無い多くの市民は、この恐怖と混乱の中、馬や車も、食料もない状態で、着のみ着た
まま自力で逃走するしかなかったわけで、これら日本人の未帰還などの行方不明者は
膨大な数となったのです。

小野周之助さんもその一人でしたが、共に35歳で、現地で生き別れてをしてから、
夫の帰りを待ち続けた妻の千鶴(ちづ)さんは、国の「戦時死亡宣告」と「遺族」届を
拒否して待ち続け、今年2月に104歳でお亡くなりになりました。

そして、千鶴さんは、自分の死後に一緒に「死亡宣告」手続きをするようにと遺言を
残していたと言います。

丁度前日の16日、NHKの「妻と飛んだ特攻兵」と言う、旧満州の実話の番組があり、
終戦後、日ソ講和条約を無視したソ連兵が、旧満州に攻め入り、無差別の攻撃を
市民に浴びせ多数の死傷者を出す中で、現地から日本軍の撤退命令の出た後、陸軍は
撤退したが、弾丸も尽きた11機の日本空軍部隊が、日本市民の帰国を1人でも助ける
ための逃走時間を稼ぐために、数十両の侵略戦車部隊に特攻する話ですが、この軍人
としての誇りと責任感、そして慈愛と、加えて、将校の軍属の妻は、共に市民を守る
のが当然とし、又、死ぬのは夫と一緒にと決め、共に軍規を破り、自爆攻撃に加わった、
夫々2人の妻の実話に、人の生き方の美しさを見せ付けられました。

これらの話は、今、戦争と平和を考えるに日本に、夫々人として、人間としての本質
であり、事の認識の責任と、夫々が決定する義務と、そして行動に向かう信念が、
その「人の命」を、意義あるものにすることの教訓でした。


スポンサーリンク





nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:ニュース

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

トラックバック 0

トラックバックの受付は締め切りました