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奈良で弥生末期の前方後円墳のルーツ発見か [文化・芸術]

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奈良文化財研究所(奈文研)が、「前方後円墳のルーツ」で、弥生時代終末期(2世紀中ごろ
~後半)と見られる、円形の一部に四角の突出部がある墓が奈良県橿原(かしはら)市の
瀬田遺跡で発見され12日に発表されました。

この墓の円径は約19メートルで、その周囲を幅約6メートル、深さ約50センチの溝が巡る
「円形周溝墓(えんけいしゅうこうぼ)」と呼ばれる墓で、周溝を含めた直径は最大約31mに
及ぶ規模です。

奈文研は、この墓は当時の奈良盆地で最大規模で、その四角の突出部は南側にあり、
長さは約7メートルで、墓への通路となる「陸橋」だと見られると言います。

今回の調査では、この墓は7世紀後半の藤原京の時代のものと見られる大型建物跡など
の遺構も出土しており、墓はその下層で見つかり、墳丘は削られて、埋葬施設などは残って
いないと言います。

同県の、この地の約7キロ北東の桜井市は、女王・卑弥呼(ひみこ)が治めた邪馬台国の
有力候補地とされる纒向(まきむく)遺跡(国史跡、3世紀初め~4世紀初め)があり、遺跡内
には最古の大型前方後円墳とされる箸墓(はしはか)古墳(3世紀中ごろ~後半、墳丘長約
280メートル)のほか、後円部に比べて前方部が小さい纒向(まきむく)石塚古墳(国史跡、
墳丘長約96メートル、3世紀前半~中ごろ)などの「纒向型」前方後円墳と呼ばれる古墳
も点在します。

 前方後円墳のルーツは、これら前方部が小さい今回の「円形周溝墓」から、前方部が、更に
少し大きくなった「纒向(まきむく)遺跡」、そして前方部が一番大きな「箸墓(はしはか)古墳」へ
と、その前方の陸橋(突出部)が次第に大きくなって「前方部後円墳」に発展したものと考えら
れることから、今回見つかった墓の年代が、纒向石塚古墳を数十年遡ると見られることから、
「前方後円墳のルーツとなる可能性があり、その後の前方後円墳に発展したのではないか」と、
石野博信・兵庫県立考古博物館名誉館長(考古学)は考えています。

「前方後円墳」成立過程の模式図
http://www.asahi.com/articles/photo/AS20160512004974.html

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