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日本の「お彼岸」常識は世界仏教の非常識 [彼岸]

今年も恒例の「お彼岸」がやってきました。

この「お彼岸」ご参詣は、仏教に関わる行事と思われていますが、これは日本だけの行事なのです。

仏教用語に「彼岸」がありますが、それは、仏教では、他界した人が、人間界の煩悩の迷いに満ちた世界の西の岸(此岸(しがん))を離れ、厳しい地獄海を渡って(修行して)、最後に到達する他岸「彼の岸」東の岸にある、悟りの世界に渉ることを彼岸といいます。

これは日本古来の、太陽神を敬う神道による朝廷の神祇(ぎ)信仰行事が、渡来の仏教の考えと結合して「神仏習合」となり、この行事が、春分と秋分の太陽が真東から昇って真西に沈む、昼と夜の長さがほぼ同じ日となるこの縁起日を、春の種蒔きや、豊かな秋の収穫を祈願するとともに、この彼岸(日願))を、彼の岸のご先祖の霊が、最短の距離に当たることで、この日のお墓参で、ご先祖に感謝と回向の供養をする風習が継承されてきたと思われます。

現在は、この「春分の日」と「秋分の日」は彼岸の中日を当て国民の祝日となっています。

祝日法による趣旨は、次のようになっています。
・春分の日=『自然をたたえ、生物をいつくしむ日』
・秋分の日=『祖先をうやまい、なくなった人々をしのぶ日』

「お彼岸」の日本の常識が、世界の非常識であることは、如何に、日本国民のルーツが、信仰心の熱い民族であるかを表していると思います。



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お彼岸の墓参りでのご先祖の法要はご自身による簡易なお題目が正行です [彼岸]

今年も彼岸となり、22日の晴れの日を選んで、世俗通りお墓に行ってきました。
多くの善男男女がご自分の丘を掃除して、供養を上げ墓参りをしていました。

墓石は見渡す限り日本の簡略五輪塔型の和型墓石の仏教様式ですから、仏教徒と言えそう
ですが、大半は、彼岸時特有の慣習的行動のようです。

昔は、お墓の菩提寺のお坊さんに、ご先祖の法要として、回向の読経をしてもらうのが普通で
したので、お坊さんの姿がちらほら見えたのですが、昨今は全くその姿を見たことがありません。

それは、これほどの墓があり、信心深い人がいながら、特定の宗教や信仰を持っていないのが
日本人と感じました。

即ち、御自分は、ご先祖を敬う姿勢を見せてはいますが、仏教で言いますと、ご先祖の回向に
なっていない無意味な「お墓参り」をしているのです。

さて、私はどうしたかと言いますと、暮れから放っておいたお墓の掃除をしに行ったのですが、
雑草は大した伸びてもいないのに、予想に反して2時間を消費し、歳でもあり大変疲れました。
漸く終わって、本化仏教の正しい修行の「お題目を合掌口唱」し、先祖霊の回向をして帰って
きました。

多くの人が、ご自分で簡素に、世に最尊の「本化仏教」の回向により、確かで満足のある、
ご先祖の法要を行う世になって欲しいものです。



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