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昭和の戦士 野坂昭如さん(85)が死去 [文化人]

作家、野坂昭如さんの死去がニュースとなっています。

作家の野坂昭如さん85歳が9日午後9時半ごろ、家族が自宅で横になっていた野坂さんが
意識のなくなっているのを見つけて、救急車を呼び病院に搬送しましたが、午後10時半ごろ、
肺炎からくる心不全で、残念にも死去したことが確認されたといいます。

雑誌編集者の矢崎泰久さん(82)は、野坂さんが雑誌「週刊金曜日」用に書いた原稿を、
つい7日に受け取ったばかりで、この不意の死に驚いていると言われ、又、この 「突然の訃報
(ふほう)に接した、野坂さんと親交があった 永六輔さんや俳優の吉永小百合さん他、多くの
人々を驚かせて、各界から氏の別れを惜しむ声が、広くあがっています。

野坂昭如さんは、昭和1ケタ生まれの作家で、ご自分の空襲体験や家族を失った悲しみの
戦争体験から最後まで反戦平和を唱え、子どもたちの飢えた顔を見たくないと弱者への労りで、
TPPにも反対し、「戦争で最もひどい目に遭うのは、子供たちだ」と訴え、亡くなるまで、眼前の
危機に見て見ぬふりをしがちな今の日本社会を憂え、原発問題についても懸念する、その
反骨の社会批判は厳しく、他面ではユーモアに満ちた活動を続けた人でした。 

アニメ映画「火垂るの墓」の高畑勲監督は、「『火垂るの墓』と『戦争童話集』は、戦争に巻き
込まれた弱者の悲劇を描き切った不朽の名作であると、称えています。



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「武士の娘」鉞子とフローレンスの生涯に 本質的気品の香り [文化人]

「武士の娘」のタイトルで、8月11日NHKテレビ番組が放映されました。

「武士の娘」の「杉本鉞子」の物語は、越後(新潟県)長岡藩元家老の娘が、兄の友人で、
アメリカで骨董店を営む、杉本松雄と24歳で結婚し、米国オハイオ州シンシナティーで、
杉本松雄を庇護していた、後に、第28代ウイルソン大統領を出した地元の名士で、日本
滞在の経験もあり、日本の親しい理解者である、ウイルソン家のセーラー・ウイルソン
(フローレンスの母)の家に私宿したのが切掛けで、16歳年上の親友でもあり、後の第二
の母として生きたフローレンスと共に、運命の「武士の娘」を世に出すことになります。


結婚のため渡米し、米国で夫と共に商売を開始した鉞子は、二人の娘と共に12年を
過ごしましたが、当時台頭した日本の軍国主義の陰が日米関係を悪化して、移民に
対する偏見が厳しくなり、苦しい生活が続く中で、遂に商売は破産し、夫を一人残し
て母と娘は日本に帰国し、フローレンスも適時母国を離れて来日します。

その直後に、夫の杉本松雄は、過労からか盲腸炎で不慮の急死をします。

帰国した鉞子は、日本キリスト教婦人矯風会や普連土学園の英語教師などで働き、
フローレンスは家事を受け持ち、生活していましたが、躾に厳しかった母親の遺言も
あり、母親が亡くなったのを契機に、大正五年に再度米国に亘ります。

米国ニューヨークに暮らす、鉞子家族の生活は苦しく、原稿料やコロンビア大学で
日本の歴史教授をするなどして家計を支えましたが、その折れそうになる心と生活を
陰で支え続けたのがフローレンスでした。

フローレンスは、鉞子の才能と人柄を文学で生かすべく各面に声を掛けて、遂に、
時の作家、クリストファー・モーレーの目に留り、日本の紹介誌の「アジア」に
「武士の娘」が連載されるのです。

「武士の娘」は、鉞子自身の、日米の異なる生活や思想文化と日本の武家の女性と
しての誇りの在り様に、悶えながらも強く清く一途に生きた物語を綴ったものでした。
この作品は、当時(明治時代)の日本と米国の狭間を繋ぐ、人としての「品格の香り」
と「不器用で武士の娘の懸命な生き方と感性」が愛され、作品は欧米諸国に広まり、
8万部のベストセラーとなりました。

テレビでしたが、「武士の娘」の考え方の支柱に在るのは、常に二人の心は、日米
両国を故郷として愛し、戦争の民族的憎悪を超えて、常に人と人の友情を信じ、
途絶えることなく、日米両国交流の架け橋になろうとしていたことです。

フローレンスはその死を前にして、鉞子に、「武士の娘」を日本でも出版する約束を
させました。

鉞子は、英語も禁止され、米国に繋がりある者として狙われ、陸軍憲兵に監視される
時代に、その翻訳版を、大岩美代訳で出版し、その約束を果たしました。

この二人の素晴らしく高潔で澄み切った一途な人間性の生涯に、人間の本質的な
気品の香りが感じられます。

現在二人は、夫、青山墓地の杉本松雄の墓に、並んで永眠しています。



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アイヌ民族の遺骨に政府の無神経な人権侵害 [文化人]

アイヌ民族の人類学研究のために、全国の国立大学で、戦前戦後に収集し所持していた
遺骨処理を、政府は、それらの遺骨を集めて慰霊施設を作り収納しようとしたことに対し、
浦幌アイヌ会会長の差間(さしま)正樹(64)氏と、アイヌ民族とその支援者計21人は、人権
侵害として、日本弁護士連合会に、この救済を申し立てる事態が起きました。

政府の計画では、北海道の白老町に、「民族共生」の象徴となる空間を作り、その一角を、
それら収集した遺骨を集め、その慰霊施設を、イヌ文化の復興拠点としたいと言うものです。

因みに、各12大学で保管されている遺骨は、1600体と言われます。

アイヌ民族は、遺骨はその先祖が祀られているコタン(集落)に返すべきと主張していますが、
政府は、身元が判明している遺骨は23体でしかなく、後は不明で、遺骨の継承者がいれば
返還する方針であるとしています。

これに対して、アイヌ民族の代表は、「先祖の遺骨を勝手に持って行き、返す段になって、
本人の証明をすれ」と言うのは乱暴極まりない行為であり、また人種差別行為だ、また、
大学で収集した際の場所はその研究のため記録されて居るはず。と反論しています。

しかし、長期の年月が経過したコタンの現実は、コタンが残る地域が減少しており、遺骨が
戻すことにも、困難なことも考えられます。

ただ、ここで大切なことは、アイヌ民族は日本の先住民族であり、我々和人の侵略で今や
北海道の一部に追いやられたものであり、更に大切なことは、アイヌ民族の自然を共有する
精神文化を理解していないことで、人格侵害であり、宗教侵害であると言えるのです。

この敬虔な精神文化を継承するアイヌ民族に対して、単に理論的効率的心情的に物事を
処理するのは、先進国日本と言われる、進化した文化人の、他宗教の配慮なき行為は、
我ら和人の恥ずかしい行為です。

私たちの中にも、戦争の戦死者の遺骨を集め、その肩身を探して遺族とどけようとする人が、
そして慰霊碑に花を添える人が、未だにいることを忘れてはなりません。



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山口洋子さん 五木ひろしさんの名付け親 直木賞作家死去 [文化人]

直木賞作家、山口洋子さん(77)が、東京都内病院で6日亡くなりになりました。


若い時代は、女優や、銀座のクラグのママなどの苦い経験を経て作家を目ざし、
山口さんの著書の、「貢ぐ女」、「演歌の虫」、「老梅」「プライベートラブ」が、直木賞や
吉川英治文学賞を受賞して、漸く作家としての頭角を現しました。


また、作詞家としても、五木ひろしさんの「よこはま・たそがれ」「夜空」や、「噂の女」
「ウソ」「アメリカ橋」など、ヒット曲を出し続けました。


歌手、八代亜紀さんは、「もう一度逢いたい」など、戴いた多くの作詞に、「女心を巧みに
表現される、素晴らしい歌詞を書かれる方でした」と、その想いを語っています。


五木ひろしさんは有名歌手として成功する過程で、全日本歌謡選手権の審査員であった
山口さんは、五木ひろしを見出だし、その名付け親となり、詩を作り、五木の「古賀メロディー」の
プロジュースをするなど、家族の姉のような付き合いで、良き相談役となっていたようです。



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